カラタチバナ(唐橘)、ヤブコウジ(藪柑子)、アリドオシ(蟻通し)

 
 冬に赤い実を付けるマンリョウ、センリョウが「万両」「千両」に通じることから正月の縁起物として飾られるようになったことは、すでに触れた。しかし、これには続きがあって、さらに「百両」「十両」「一両」とされる植物がある。赤い実の数の多少によって付けられている。「百両」はカラタチバナ、「十両」はヤブコウジ、「一両」はアリドオシである。
 こう記すと、まずマンリョウ(万両)、センリョウ(千両)があって、それに合わせるように「百両」以下の植物が当てはめられたように思える。そのように解説している本もある。しかし、実際は「百両」のカラタチバナが最初に当てられたようだ。
 江戸時代の初期頃に、中国から「百両金」という植物名が伝わってきた。当時の江戸の園芸家が「百両金」がどのような植物か分からないまま、これをカラタチバナに当てはめたようだ。
 そして江戸時代の終わり頃になって、正月の飾り物として縁起を担ぐために、「百両」があるならマンリョウは「万両」に、センリョウは「千両」にというように決められた。

カラタチバナ(唐橘、百両)

 カラタチバナはサクラソウ科ヤブコウジ属の常緑低木で、関東以西の林中に生え、庭木としても植えられる。高さ約30cm。葉は披針形で先端はとがり、縁の波状の鋸歯の間に腺点がある。夏、葉腋から花柄を伸ばし、白色の小花を多数つける。果実は球形で赤く熟し、翌年まで残る。

 寛政7年 (1795) 頃から斑入りや葉型の変化したカラタチバナ(江戸時代にはタチバナと称した。柑橘類のタチバナではない)が大流行した。木村俊篤編『橘品類考 (たちばなひんるいこう) 』(寛政9年:1797) には『鳳凰尾』と名付けられたカラタチバナは通常よりずいぶん葉が細く、また『矮鷄葉(ちゃぼは)』は添え書きに『カタチ至テ小サシ』とあるように、矮小になっている。
『百両』とされたカラタチバナは、実際に10両から100両くらいで取引されていた。今の価値にすると、5万から500万円以上もしていた。特に、変異品のなかには、1鉢で2,300両(1億円以上)もの値がついたものもあった。今では、信じられないような園芸バブルがあった。このような流行を反映して、寛政9年にはカラタチバナ関係の刊本が3点も出版された。弄花亭主人(ろうかていしゅじん)『橘品(きっひん)』、灌河山人(木村俊篤)『橘品類考前編』、生々斎黄道沙門『素封論(たちばな種芸の法)』。いずれも専門的な内容で、カラタチバナの性質、種類、栽培法、品種改良の方法などが記述されている。










ヤブコウジ(藪柑子、十両)

ヤブコウジはサクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木で、日本全土の山地の木陰に自生。
 夏、葉腋に白色の花を下向きに付ける。花後、球形の果実となり、秋に熟す。マンリョウやセンリョウと比べ実の付き方が少ないのでジュウリョウ(十両)とも呼ばれる。古名は山橘(やまたちばな)、万葉集に5首歌われている。

あしひきの 山橘の 色に出でよ 語らひ継ぎて 逢ふこともあらむ
(春日王 卷4.669)
(山橘の真っ赤な実のように、顔に気持ちを表しなさい。そうすれば互いに話し続けて、逢うこともあるだろうから)

「やまたちばな」という名は、葉が常緑で、赤く熟す実の下がる様子がタチバナに似ていることからついた名前である。またヤブコウジという名も、藪に生えるコウジ(ミカン)という意味で付けられたものである。

 斑入り品などの変異株が江戸時代より選別され、古典園芸植物の一つとして栽培され、それらには品種名もつけられてきた。古典園芸植物としての名前は紫金牛(これで『こうじ』と読ませる)である。 『草木錦葉集』には、ヤブコウジは『藪柑子 』、『紫金牛』とある。『本草図譜』や『本草綱目啓蒙』では『こうじ』と呼ばれたようだ。明治年間にも大流行があり、一鉢が家1軒の値が付いたこともある。現在では約40の品種が保存されている。

 生薬としては紫金牛(シキンギュウ)と称し、特に中国でよく用いる。

 アカネ科アリドオシ属の常緑低木。本州(関東地方以西)、四国、九州、沖縄の山地のやや乾いた薄暗い林下に自生する。