アイ(藍)

   
藍は人類が最もから古く利用した青色(藍色)染料

・紀元前2000年にインドで藍染めが行われていた
・日本には6世紀頃中国から伝わった
・阿波藩(現在の徳島)の特産品
・藍染めは、武士の色として定着。藍染めを「褐色(かちいろ)=勝色」と呼ぶ
・江戸時代、庶民に普及
・人工藍の普及で衰退した

 藍は人類が最も古くから利用した青色染料であり、最も古い主産地はインドで、インドでの藍染めの起源は紀元前2000年頃といわれ、当時すでに製藍は輸送に適するよう固形化されていた。製藍されたインド藍は紀元前後には地中海沿岸に輸出された記録が『エリュトゥラー海案内記』に残っている。
 古代口-マのIndicum (顔料)の語源はIndia (インド)に由来するという。古代インドのサンスクリットで書かれた文献に製法の記述がある。しかし、インドの藍はマメ科コマツナギ属の低木である。それに対し古代中国ではタデアイを栽培していたから独自に発生したと思われ、日本でもタデアイを用いるから、染色技術とともに中国から波来したとみなされる。

 タデアイはタデ科イヌタデ属の一年草。高さ 50~70cmになり、茎は紅紫色を帯びる。中国原産で日本には6世紀頃中国から伝わった。葉、茎から染料をとり、東洋では古来、ムラサキ、ベニバナ、アカネなどとともに染料として重用された。ヨーロッパでは 16世紀に東洋から輸入して使用されるようになり、のちにはヨーロッパ諸国のアジア植民地で藍色の染料を採る為に広く栽培された。
 正倉院宝物中の藍染織物や『延喜式』の藍染法などの規定はその重用のさまを示している。江戸時代中期までは各地方で自給されたが、その後、阿波藩で奨励と販売統制を行い、大坂市場を独占するにいたり、阿波藍が全国的に商品として流通した。主産地は阿波と摂津。元文1 (1736) 年大坂集荷の藍玉は 48万貫 (1800t)。1897年頃までその生産は増加する。
鎌倉時代には武士が一番濃い藍染めを「褐色(かちいろ)=勝色」と呼んで鎧の下に身につけるなど戦勝の縁起かつぎに多用。 藍染めは、武士の色として定着した
 藍染めが庶民の間に普及したのは江戸時代。着物に作業着、のれんにのぼりなど、江戸の町は藍色に溢れていた。染物商は藍染めを主としたことから「紺屋」と呼ばれた。全国に多数残る紺屋町の名は染物商が多く住んだ地域である。
 しかし、1880年にドイツの化学者が天然藍(インディゴ)とまったく同じ成分構造を持つインディゴを石炭から作り合成した、ドイツから輸入の人工藍 (アニリン染料) の圧迫によって衰えた。しかし、品質の良いところから現在でも高級品としての需要があり、生産は続けられている。

 アイの葉は古来より薬用植物として解熱、解毒や抗炎症薬等に用いられてきた。2022年には、タデ藍(青森県産の『あおもり藍』)の葉から抽出したエキスが、新型コロナウイルスの細胞への侵入を防ぐ働きを持つことが、東北医科薬科大学、富山大学、近畿大学、神戸大学の共同研究チームにより発見され、2月10日にギリシャの国際的学術誌に論文が掲載された。葉のエキスに含まれるトリプタンスリンがウイルスのスパイクタンパク質に結合し、人体の受容体との結合を阻害する効果があり、オミクロン株にも有効である他、自然素材で副作用が少ないため、ワクチン未接種者の感染予防にも効果的とされている。