ココアやチョコレートの原料 樹齢4年程度で開花し、直径3センチメートル程度の白い(品種によって赤~黄色味を帯びる)幹生花(幹に直接開花及び結実する)を房状に着ける。結実率は1%未満。果実は約6か月で熟し、長さ15 - 30センチメートル、直径8 - 10センチメートルで幹から直接ぶら下がる幹生果で、カカオポッドと呼ばれる。形は卵型が多いが、品種によって長楕円形、偏卵型、三角形などで、外皮の色も赤・黄・緑など多様である。中に20から60個ほどの種子を持ち、これがカカオ豆 (cacao beans)となる。種子は40 - 50%の脂肪分を含む。果肉はパルプと呼ばれる。 収穫された果実は果皮を除いて一週間ほど発酵させ、取り出されたカカオ豆は、ココアやチョコレートの原料とされる。 カカオノキの歴史は紀元前1900年のメソアメリカまでさかのぼる。カカオ豆の利用を始めたのは、メソアメリカに最初に出現したとされるオルメカ文明を築いた人びとであった。その後に興ったマヤ文明は、オルメカ文明から力力オ豆の栽培や加工の技術をそっくり受け継いだ。さらに、14世紀頃にメキシコ中央高原に出現したアステカ文明もまた、カカオノキに関しては、マヤ文明の持つノウハウをそっくり受け継いでいる。マヤやアステカをはじめ、中央アメリカの人々にとってカカオノキやその果実は実用面だけでなく精神的な意味でも非常に重要な役割を果たしていて、カカオノキは神聖視されてきた。ヨーロッパ人による侵略以前から、カカオノキは中央アメリカ低地に広く栽培され、カカオ豆は重要な交易品であり、献上品であった。古代からカカオ豆は通貨として、また支配者への貢ぎ物として、アステカの首都テノチティトランの巨大な倉庫に蓄えられていた。スペインによる征服後も、カカオ豆は引き続き貢物や税として取引されていた。しかし、カカオ豆の最も有名な利用法はショコアトルとよばれた元気を与えてくれるチョコレート飲料であり、この飲み物には、多くのレシピがあった。 アステカ族も、マヤ族と同様に、カカオ豆を飲み物として利用していたが、それは現代のココアやチョコレートドリンクとはまったく異なった飲み物であった。すり潰したカカオ豆を水に溶き、そこにトウモロコシの粉、トウガラシ、バニラなどを加え、専用の泡立器で泡立てて飲んでいたのである。 1502年、コロンブスは第四次航海で現在のホンジュラス付近でカカオ豆を入手し、スペインへ持ち帰っている。もっとも利用法が不明で、その価値に気付いた者はなかった。 1519年、コンキスタドールのエルナン・コルテスはアステカでカカオの利用法を知る。 1544年にカカオが飲料としてヨーロッパにもたらされたという最初の記録がある。 メソアメリカはスペインの勢力圏で、スペインはカカオ豆の輸入を独占した。初期のチョコレート飲料は苦かったためか、スペイン人にはあまり受け容れられなかった。しかし16世紀頃、これに砂糖が加えられるようになると、アメリカに住むヨーロッパ人の間で一気に広まった。ヨーロッパ本国では当初貴族とスペインの宮廷だけの飲み物であった。チョコレート飲料も砂糖も庶民には手の届かない高価なもので、チョコレート飲料に砂糖を入れて飲むことは上流階級にしか出来ないステイタス・シンボルでもあった。 フランスのルイ13世、14世は共にスペインの王女と結婚している。スペインの王女が嫁ぐ時、大量のカカオ豆を持参していった。それで17世紀にはチョコレート飲料はフランスの宮廷で最高の飲み物と位置づけられた。17世紀中頃になると、パリやロンドンではチョコレートハウスが開店し、コーヒーハウスと人気を二分するようになった。さらに18世紀にはミルクが加えられるようになった。 カカオは16世紀前半までは、中米メソアメリカの文化圏・交易圏において社会上層部だけがか享受していた嗜好品だった。スペインの統治下になった1521年以降、中米のスペイン植民地において、社会の幅広い層にカカオの味は普及していった。中米市場にカカオを供給するため、17世紀に中米カリブ海地域のカカオ・プランテーションで、黒人奴隷を労働力として導入することか本格化した。16世紀後半~17世紀に、スペイン本国でもカカオの味は浸透し、カカオはヨーロッパヘ輸出されるようになっていった。 ヨーロッパにおいて、ティーとコーヒーとチョコレート飲料は、一時は三つ巴の競合状態にあった。しかし、まずチョコレート飲料が競合から脱落することになり、ヨーロッパの日常の飲み物はティーとコーヒーによって二分されることになった。 チョコレート飲料が競合に負けた原因はいくつか考えられる。カカオ豆の生産地メソアメリカなどを植民地として抱えていたスペインは、世界に誇った無敵艦隊がイギリス艦隊との海戦で決定的な打撃を受けて制海権を失い、やや遅れて世界史に登場してきたイギリス、フランス、オランダなどの新興国に対抗しきれなくなっていた。世界におけるスペインの勢力後退はチョコレート飲料が最大の保護者を失うことを意味し、飲料戦線から後退する一つの要因となった。 もう一つの要因は、コーヒーやティーにはカフェインが含まれているので、飲めば確かな覚醒作用があるのに対し、カカオに含まれるテオブロミンの興奮作用は穏やかで刺激性が少ない点である。覚醒作用という観点から、ティーやコーヒーに比べると、チョコレート飲料は確かにインパクトの弱い飲み物であり、その上、脂肪分が多く含まれていたために口当りの重い飲み物で、一度に二杯も三杯も飲めないこともマイナス要因として働いた。 1828年ごろにオランダのカスパルス・ヴァン・ホーテンが、カカオから油脂を分離し粉末化する手法を開発し、ココアと名付けて売り出した。 ココアパウダーはもっぱら飲料にするために開発され、分離された油脂分のココアバターは副産物として利用価値が低かった。その後イギリスで、ココアバターを再利用する形で初めて固形チョコレートが発明された。ココアパウダーに元のカカオマスより多くのココアバターを混ぜ合わせ調整すると固形チョコレートが実現した。つまり菓子としてのチョコレートが誕生したのは1840年代のことであった。面白いことに、西∃ー口ッパでは、コーヒーは男性の飲み物で、チョコレートは女性向きと考えられるようになっていった。1800年頃までは人気の点で茶やコーヒーに遅れを取っていたチョコレートだが、催淫剤になるという古い言い伝えもあって、円形チョコレートはロマンチックな愛の象徴に使われるようになった。カサノバは恋の誘惑にシャンパンよりチョコレートを好んだといわれている。 カカオマス;カカオ豆の胚乳を発酵、乾燥、焙煎、磨砕したもの。 |