2月になると、美術館の庭の片隅に黄色い花が土の中から顔をのぞかせる。まだ花の少ない時期に咲く黄色の花はひときわ目立つ存在である。フクジュソウである。 フクジュソウはキンポウゲ科アドニス(フクジュソウ)属 の多年草で、世界に約35種があり、アジア、ヨーロッパ、北アメリカ、北アフリカに分布する。日本には4種のフクジュソウが自生する。フクジュソウはこの4種のフクジュソウの総称でもあり、その内の1種であるエダウチフクジュソウを指す場合がある。 残りの3種はミチノクフクジュソウ、キタミフクジュソウ、シコクフクジュソウである。 エダウチフクジュソウは自生地が北海道から九州にかけてであり、茎が中実であることが特徴である。高さ10~30㎝。根茎は太く、黒褐色。葉は互生し、3~4回羽状複葉。葉はほとんど無毛で、葉裏に微毛がわずかに散生する程度。 キタミフクジュソウは自生地が北海道東部に限られ、多毛であり茎が中実で、葉が対生し、葉裏に軟毛が密生する。一株に1輪しか花を付けず、花弁より萼片が長い点が特徴である。 ミチノクフクジュソウは自生地が東北から九州にかけてであり、茎が中空で、花弁が萼片より明瞭に長いことが特徴で、他種の萼と花弁の長さは同等程度なので見分けることができる。 シコクフクジュソウは自生地が本州(三重県)、四国及び九州の一部に限られ、全草無毛であることや、茎が中空で、萼片は花弁と同長かやや短いことが特徴である。 フクジュソウの花期は早春であり、3-4cmの黄色い花を咲かせる。当初は茎が伸びず葉もつけない。苞に包まれた短い茎の上に花だけがつくが次第に茎や葉が伸び、キタミフクジュソウ以外はいくつかの花を咲かせる。 なぜ、葉も出ないうちに、花が咲くのか。ほとんどの植物では、葉が出たあとに花が咲くが、それは花のあとにタネや実をつくる必要があり、そのための栄養は、葉による光合成で蓄えられるからである。 フクジュソウが、葉が出るより先に花を咲かせることができるのは、地下茎に栄養が蓄えられているからである。そして葉がない状態で花を咲かせれば、葉が茂ったあとで咲く花より花が目立ち、花粉を運ぶ昆虫たちに強くアピールできまるからである。 早春には、花粉を運ぶ虫もなかなか来てはくれない。絶対数が少ないうえに、晴れて暖かな日にしか飛ばないからだ。そこで、花たちは美しく装い、工夫を凝らして虫を誘う。フクジュソウの花は晴れた朝に開き、花びらをパラボラアンテナの形に広げて太陽の動きを追う。光沢のある花びらは光をよく反射し、花の中心、ちょうど雄しべや雌しべのあたりに光を集める。その結果、花の内部の気温は外気温より10度ほども高くなる。 冬越し中のハナアブたちが、暖を求めてフクジュソウに集まってくる。花はハナアブ好みの黄色い衣装をまとい、寒さに凍えた浴客たちを呼び込む。ハナアブは花の上でおやつの花粉をなめながら、凍えた体を温める。実は、フクジュソウの花には蜜がない。その代わり、この花は暖かな日光浴場で虫を誘っている。 典型的なスプリング・エフェメラルであり、春を告げる花の代表である。旧暦のお正月にあたる二月ごろに咲くので、元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名を持つ。福寿草という和名もまた幸福の”福”と、長寿の”寿”を名前にもっている。また、この植物の花は寿命が長いことから、名前に「長寿」の意味が込められている。新春を祝う意味があり、縁起物の植物として古くから栽培されてきた。 福寿草、または元日草という名が最初に文献に現われたのは、江戸時代初期の松江重頼の俳諧論書である『毛吹草(けふきぐさ)』(正保元年・1645)のようであるが、もっと以前から観賞されていたと思われる。江戸時代以来、特に俳人や文人にもてはやされ、数多くの俳句や詩歌に詠まれてきた。 『花壇地錦抄』には「花朝に開き、夕にねむり、その花又朝に開きで盛り久しき物なり。元日草ともふくずく草ともいう。祝儀の花なり」とあり、この花の生態を実によく観察していたかが窺える。 フクジュソウは日本独自の園芸品種で、江戸時代末期まで盛んに改良され、泉本儀右衛門『泉本儀右衛門『本草要正』(1862)には、紅花、白花、八重咲など126種の品種が記されている。』(1862)には、紅花、白花、八重咲など126種の品種が記されている。一方、あまり乱獲され一時は絶滅寸前までに至ったことがある。これは花が美しいだけでなく貴重な植物として、現在絶滅危惧種の一つに指定されている。 根はゴボウのようなまっすぐで太いものを多数持っている。この根に含まれるアドニトキシンには強心作用があり、古くから民間療法として利用されてきた。しかし、毒性が強く、その致死量は0.7mg/kgで、体重が55kgの方で38gの摂取で死に至るほど少量でも効果が強い。少しでも用法・用量を間違えると死に至る危険があることから、毒草に指定されている。地面から芽を出したばかりの頃はフキノトウと間違えて誤食しやすいほか、若葉がヨモギの葉に似ている。症状は嘔吐、呼吸困難、心臓麻痺などで、重症の場合は死亡する。 1992年4月、徳島で心臓病を患っていた76歳の女性が心臓に良いからとフクジュソウを煎じて飲み死亡した。 フクジュソウはギリシヤ神話にも登場する。ギリシヤ神話の美の女神はアフロディーテ。ローマ神話ではヴィーナスである。その女神にお気に入りの美青年がいた。彼の名をアドニスという。アフロディーテはアドニスがかわいくて、四六時中側にとどめておいた。それが窮屈であったのか、ある日、アフロディーテがゼウスに呼び出された折に、アドニスは森へ狩りに出かける。そこでイノシシに出会い、立ち向かうが逆襲され、牙で突かれてしまう。その悲鳴を聞きつけたアフロディーテが引き返した時にはすでに遅く、アドニスは血に染まって息が絶えていた。その流された血を吸った地から咲いた赤い花があった。それがアドニス、フクジュソウである。 日本では一般にこのアドニスの化身の花はアネモネとされているが、アドニスはフクジュソウの属名に使われる。アドニス属はリンネによって設けられた属である。 日本のフクジュソウはふつう黄花で、アドニスの流した赤い血から生え出た花は、赤い花色を持つアネモネの方がぴったりに思えるが、実は赤花のフクジュソウも存在し、西アジアからヨーロッパにかけて数種の一年生の赤い花を咲かせるフクジュソウが分布する。コムギなどの畑に侵入し、その収穫の頃に開花する。そのことがギリシヤ神話の土台にある。 ギリシヤ神話に先立って小アジアやエジプトではアドニスの儀式が行われた。コムギや野菜を鉢や寵に播き、それを神にささげて、豊作を祈った儀式である。力の衰えた神は死んで、新しく甦らなくてはならない。作物の刈り取りはその神の死であり、新しく種子が播かれて再生・復活する。コムギの畑のアドニスは作物の神の死、すなわち収穫時に咲き、その再生のシンボルとされ、それがギリシヤ神話に形をかえて取り入れられたのであるという。 |