フヨウ(芙蓉)

    
 
                 「樹木見分けのポイント図鑑」(講談社)
フヨウはアオイ科フヨウ属の落葉低木。種小名 mutabilisは「変化しやすい」(英語のmutable)の意。「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には「木芙蓉」(もくふよう)とも呼ばれる。
 中国、台湾、日本の沖縄、九州・四国などの暖地の海岸近くに自生する。かつてフヨウは中国の西南地方が原産地とされていたが、日本にも野生のものがあり、いつ中国から渡来したか分からず、最近では日本も原産地の一部と考えられている。
 日本では関東地方以南で観賞用に栽培される。幹は高さ1.5-3m。寒地では冬に地上部は枯れ、春に新たな芽を生やす。葉は互生し、表面に白色の短毛を有し掌状に浅く3-7裂し、縁には鋸歯がある。
 7-10月始めにかけてピンクや白で直径10-15cm程度の花をつける。朝咲いて夕方にはしぼむ1日花で、長期間にわたって毎日次々と開花する。花は他のフヨウ属と同様な形態で、花弁は5枚で回旋し椀状に広がる。先端で円筒状に散開するおしべは根元では筒状に癒合しており、その中心部からめしべが延び、おしべの先よりもさらに突き出して5裂する。
 果実はさく果で、毛に覆われて多数の種子をつける。
 同属のムクゲと同時期に良く似た花をつけるが、直線的な枝を上方に伸ばすムクゲの樹形に対し、本種は多く枝分かれして横にこんもりと広がること、葉がムクゲより大きいこと、めしべの先端が曲がっていること、で容易に区別できる。フヨウとムクゲは近縁であり接木も可能。

わが国で栽培・観賞が始まった時代は明らかでないが、一条兼良(1402~81)の作とされる「尺素往来(せきそおうらい)」に秋の庭植えの花24のうちの一つとしてフヨウを挙げていることから。室町期にはすでに栽培・観賞されていたと思われる。

茎の皮は強靱で、製紙材料とされたほか、沖縄では漁網や籠に用いられた。南西諸島や九州の島嶼部や伊豆諸島などではフヨウの繊維で編んだ紐や綱が確認されている。甑島列島(鹿児島県)の下甑町瀬々野浦ではフヨウの幹の皮を糸にして織った衣服(ビーダナシ)が日本で唯一確認されている。ビーダナシは軽くて涼しいために重宝がられ、裕福な家が晴れ着として着用したようである。現存するビーダナシは下甑島の歴史民俗資料館に展示されている4着のみであり、いずれも江戸時代か明治時代に織られたものである。

スイフヨウ(酔芙蓉)(作品はスイグヨウ))
 朝咲き始めた花弁は白いが、時間がたつにつれてピンクに変色し、夕方には赤色になりしぼむ。八重咲きの変種であり、色が変わるさまを酔って赤くなることに例えたもの。なお、「水芙蓉」はハスのことである。

中国には花の色の変化フヨウを、「朝は梁山伯だが、夜は祝英台となる」と例える諺ある。これは、中国の江南地方でよく知られた悲恋物語である。
 まだ女性の勉学の許されないころ、男装して留学した祝英台は、そこで梁山伯と親しくなるが、自分が女性であることを打ち明けられない。のちに家をたずねて、女性であることを知って求婚した梁山伯は、祝英台に親の決めた相手がいると聞いて悶死する。
 祝英台の嫁ぐ日、その乗った船が梁山伯の墓の前で動かなくなり、感きわまった祝英台は、梁山伯の墓に入って後追い心中をする。