ハクサイ(白菜)

   
チンゲンサイとカブが交雑してハクサイが生まれた

 ハクサイは冬の野菜である。鍋料理や漬物に利用される。
 ハクサイはアブラナ科アブラナ属の一年草または二年草である。アブラナ科の植物のふるさと(原産地)は地中海沿岸である。しかし、ハクサイのふるさとは中国北部とされる。
 アブラナ科の原種であるブラシカ・ラパは、紀元前の中国に伝わると栽培されるようになった。アブラナ科の植物は、近縁他種の花粉で受粉して交雑種を作りやすい特徴を持っている。そのため様々な野菜を生んだ。7世紀の揚州で、華北のカブ(アジア系)と、華南のパクチョイ(チンゲンサイ)が交雑して生じた牛肚菘(ニウトウソン)が、最初のハクサイと考えられている。牛肚菘(ニウトウソン)は、北宋の科学者であり宰相でもあった蘇頌(そしょう)が表した『本草図経』(1061)に記述がある。当初は結球性が弱く、白菜(シロナ)に近かったと見られる。その後、選抜を繰り返し、不結球→半結球→結球という経過をたどり、16 - 18世紀にかけて結球性を持つものが現れ、品種改良が進んだ結果、今日見られるハクサイが生まれた。

 朝鮮半島にハクサイが持ち込まれたのは、伊藤博文が韓国統監府長官を務めていた1909年である。持ち込まれたのは清国1号という品種で、10年あまりの研究の末に朝鮮半島での栽培法が確立され、朝鮮総督府によって朝鮮半島全土に普及した。この普及に伴い、白菜キムチも生まれることとなる。

ハクサイは日本料理の食材として多用されているが、日本で結球種のハクサイが食べられるようになったのは、20世紀に入ってからである。ハクサイが食卓に出るようになってまだ100年ほどでしかない。
交雑によって生まれたハクサイは、すぐにまた交雑するため、その特性を維持するのが困難だった。江戸時代以前から、日本には度々ツケ菜として非結球種が渡来したが、いずれも交雑により品種を保持できなかった。これは、現在でも育種家の課題である、ハクサイの強い交雑性が原因と考えられている。明治時代初期には政府によって本格導入されたが、ほとんど失敗した。
 中国のハクサイには山東型、北方型、南方型があり、日本には山東型が導入された。日清・日露戦争に出征した兵士が種子を持ち帰ってそれを育成改良したものである。
明治末期から大正にかけて、宮城県の沼倉吉兵衛が宮城農学校(宮城県農業高等学校の前身)と伊達家養種園で芝罘白菜(チーフ白菜)の導入に成功した。交雑を防ぐため松島湾の馬放島(まはなしじま)という小島で隔離育種したので、松島白菜の品種名を与えた。農家は島で採取した種を得て栽培し、仙台白菜の名で出荷した。

ハクサイはカリウムを多く含むため利尿効果があり、塩分も排出するので高血圧予防にもなる。またカロリーが低いのでダイエットにも利用できる。
葉の色の濃い部分はビタミンCが豊富だが、鍋料理などにすると溶け出すので、鍋の後におじやにして食べるとよい。

野菜の生産量では1968年には187万トンで、ダイコンに次いで2位であったが、現在(2021年)は89万トンで、ジャガイモ、キャベツ、ダイコン、タマネギに次いで第5位になっている。食事の洋風化と共に、漬物を家庭で作らなくなったことが原因のようだ。

ハクサイの生産量第1位は茨城県、2位が長野県で、この2県で全生産量の53%を占め、3位の群馬県以下を大きく引き離している。
日本は結球性のハクサイが主流だが、結球性には上部の葉が重ならない抱合型と、葉が重なる包被型があり、主流は包被型である。