ハスは、インド原産の植物とされてきた。しかし、中国各地で数千年前の化石が発見されたり、遺跡から種子が出土したため、この説は覆されている。 日本では、1951年(昭和26年)3月、千葉市にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で三粒の種子が発掘され、理学博士の大賀一郎がそのうちの一粒の発芽に成功した。このハスの実は、放射性炭素年代測定により今から2,000年前の弥生時代後期のものであると推定され、大賀ハスと名づけられた。また埼玉県行田市のゴミ焼却場建設予定地から出土した、およそ1400年から3000年前のものが発芽した例(行田ハス)もある。これらは、紀元前4世紀から始まるとされる弥生時代以前に、ウメやモモと同じように、大陸から海を渡ってきた人々によってもたらされたと考えられている。しかし、日本でもハスの化石が日本列島の各地で、更新世(約258万年~約1万年前)の地層から出土しており、日本にも自生していたとする説も根強い。
植物の種子の寿命はそれほど長くない。数週間から長いものでも4、5年である。ハスの種子の寿命が長いのは、堅い殻に覆われているからである。外気温や湿度が内部に伝わりにくくなっていて、生きていくためのエネルギーが少なくてすみ、睡眠状態を保てるからである。 ハスの古名は「はちす」。これは花が咲き終わった後の果托の形状を蜂の巣に見立てたもので、「はす」はその転訛である。 ハスの生育地は泥の中で、そこは酸素が少なく、植物の生育には適していない。ハスが平気でそのような場所に生えるのは、葉柄を通じ、地下茎に達している通気孔があるからである。いわゆるレンコンの穴である。 通常の植物は茎の中の維管束を通して、水や養分を移動させているが、呼吸のために必要な酸素を運ぶ特別な管は備えていない。根が必要とする酸素は土壌中から調達しなければならない。従って酸素の少ない泥の中では育ちにくい。この点ハスは地上の酸素を運搬できる通気孔を備え、悪条件の泥の中でも生きられる。レンコンの穴は無用の長物ではないのである。レンコンの穴は中央に1個、その周りに9個あるのが基本。葉柄とつながっている証拠に、葉柄にも基本の穴が4個、その周りに10~20個の穴が見られる。 ハスは余すところなく利用できる有用植物である。 * 花は観賞用。また朝鮮半島・中国には茶外茶として花そのものを原料としたものがあり、蓮茶と称している。 * 葉は器に使われた。万葉集にハス(はちす)を詠んだ歌が4首。いずれも美しい花を歌わず、葉を詠んでいる。 蓮葉(はちすは)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が 家なるものは うもの葉にあらし (長意吉麻呂 巻16.3826) (蓮の葉とは、このように立派であるべきもの、意吉麻呂の家にある蓮の葉はどうにも貧弱で芋の葉のように見える) この歌は、招かれた家で出された食器の蓮の葉が大きくて立派だったので、これこそ本物の蓮の葉と戯れて読んだもの。この時代には、蓮の葉は食器の代用として使われていたが、サトイモの葉も蓮に似て大きいので食器の代用として利用されていた。 * ハスの実(種子)には多量のでん粉、タンパク質、カルシウムが豊富であり、生食される。若い緑色の花托が生食にはよく、花托は堅牢そうな外見に反し、スポンジのようにビリビリと簡単に破れる。柔らかな皮の中に白い蓮の実が入っている。種子は緑色のドングリに似た形状で甘味と苦みがあり、生のトウモロコシに似た食感を持つ。また甘納豆や汁粉などとしても食べられる。ただ、胚芽の部分にはアルカロイドが含まれているので、多食は危険である。 ハスの実から、皮と胚芽を取り除き、栗飯の様に飯に炊き込めばハス飯になる。 種子の幼芽は非常に苦い。それを干した茶は口のかわきをいやし、食欲を増進させる。 * 花茎は野菜。フキの様にして食べる。酢漬けにしてもよい。 * 葉の茎。産地である秋田県では、茎を用いた砂糖漬けが作られている。 * レンコンは蓮根と書くが根ではなく地下茎である。レンコンは古代から食用にされていた。「常陸国風土記」(723年頃)や「延喜式」(927年)に記されている。 茨城県、徳島県で多く栽培されている。すり潰して取ったでん粉を葛のようにして、餡を入れてハス餅とする。 * 葉柄の繊維が蓮糸や藕糸(ぐうし)で、古くはそれで織物を作った。現代も一部で復活されている。 聖なる象徴としてのハス 古代よりハスを栽培していたインドの人々は、泥の中から美しい花を咲かせるハスを、清らかさや聖性の象徴として称えていた。 インダス文明のテラコッ夕製の地母神像の中にはハスの花の飾りをつけたものがあり、これはのちの時代の「蓮女神」であるラクシュミー像の造形に影響を与えているといわれる。バラモン教最古の文献『リグ・ベーダ』の補遺では、ラクシュミーはハスより生まれた者とされる。これらのことからハスの花のイメージが、生命の母胎である水や大地がもつ生産力、生命力と深く結びつけられていることが想像できる。 また古代インドの神話では、ヴィシュヌ神のヘソに金色の蓮華が生じ、その蓮華から現れたブラフマー神(梵天)が、万物を創造したとする。 蓮華は仏教にも取り入れられ、様々な意味づけをされた。インドの仏教では、ハスは仏陀の誕生を告げて花を開いたとされる。また、極楽世界の中心には青、黄、赤、白の光を放つ四種の蓮華の生じる蓮池があり、阿弥陀の蓮台(蓮華座)もよく知られる。 また死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、これが「一蓮托生」という言葉の語源になっている。 なお、経典『摩訶般若波羅蜜経』には「青蓮花赤蓮花白蓮花紅蓮花」との記述がある。ここでの青や、他で登場する黄色は睡蓮のみに存在する色である。仏典においては蓮と睡蓮は区別されず、共に「蓮華」と訳されている。 園芸品種数が世界一に 江戸時代に、ハスは武家屋敷にも植えられるようになった。水野元勝が延宝9年(1681)に著したわが国最初の園芸書『花壇綱目』にも、ハスの記載がある。さらに、元禄時代(1688~1704)に入ると、中国から多くの品種が輸入され、在来の日本のハス「和蓮」に対し「唐蓮」と呼ばれ、多彩な花色で人気を集めた。 元禄11年(1698)、貝原益軒が著した『花譜』には鉢(瓶)によるハスの栽培法や、種類、薬用法まで記されている。 大名や有力な旗本にはハスの愛好家が多く、なかでも老中職を退いた松平定信は、隅田川河口の霊岸島に「浴恩園」と名づけた庭園を造成し、93の品種のハスを植えた。江戸時代後期の本草家・岩崎灌園も『本草図譜』で73品種を載せる。 また不忍池では、旧暦6月24日には唐代の風流にならって「観蓮節」が催され、江戸名所のひとつとなった。見頃には蓮茶屋も繁盛したという。 津村淙庵の『譚海』は「大豆二合を三日ほど水に浸しおきて泥にまぜて肥料とすれば、その夏花うるわしく開く……」とあり、庶民の間でもハス栽培が楽しまれていたことをうかがわせる。 |