ヒガンバナ(彼岸花)


 
 9月に入ると、美術館の庭の数か所からネギのような茎が伸びてくる。そして茎の先に苞に包まれた花序が1つだけ付く。苞が破れると5 - 7個前後の赤い花の蕾が顔を出す。花は短い柄があって、やがて横を向いて開き、全体としては全ての花が放射状に外向きに並ぶ。花弁は細い6弁化で反り返って開く。花の中の雌しべは1本、雄しべが6本で外側に大きく突き出る。ヒガンバナの開花である。

 ヒガンバナは、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。別名は曼珠沙華(マンジュシャゲ)、学名からリコリス・ラジアータLycoris radiataとも呼ばれる。属名リコリスは、花の美しさをギリシア神話の海の女神リユコリスにたとえたもの。種小名ラジアータは「放射状の、射出状の」の意。

 別名の曼珠沙華(マンジュシャゲ)は梵語(サンスクリット語)manjusaka の音写であり、『法華経』などの仏典に由来する。また、法華経序品では、釈迦が法華経を説かれた際に、これを祝して天から降った花四華(曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼珠沙華・摩訶曼珠沙華)の1つが曼珠沙華である。「摩訶」は大きいという意味、曼陀羅華はチョウセンアサガオ、曼珠沙華は「赤い花」という意味である。ところがインドにはヒガンバナは存在しないので、どんな花を指すかは不明である。それが日本に伝えられたとき赤い花からヒガンバナと解釈されるようになったのだろう。

 ヒガンバナが共通語として一般に使われる以前は、シビトバナと呼ばれていた。江戸時代初期の林羅山『多識編』ではシビトノハナとし、江戸時代中期の寺島良安の『和漢三才図会』に「山野墳墓あたりに多くあり。故に俗に死人花」とある。昔は土葬が普通であったから、死体が野犬や野獣に喰い荒されないように、この毒草であるヒガンバナの球根を周りに植え込んだのであろう。
 そのためこの花は同時に、葬礼の花、死者のための供花ともなったのである。シビトバナの他に、ホトケバナ、ハカバナ、ユウレイバナ、ジゴクバナ、ソーシキバナ、ジャンボンバナ(葬式に鳴らす楽器の音から)などの方言も残っている。

 ヒガンバナは恐らく最も異名の多い植物だろう。『日本植物方言集』には全国で400ほどの方言が記されている。松江幸雄『ひがんばな』では900に上る異名が挙げられている。
 火事花(かじばな)、蛇花(へびのはな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨て子花(すてごばな)、灯籠花(とうろうばな)、天蓋花などがその例で、不吉な別名が多く見られる。
全国的に多いのは毒に結びついた名。よく知られているようにヒガンバナは猛毒をもつ。イットキゴロシ、シニバナ、ドクマンジュウ、ジゴクバナ、シタマガリ、シビレバナ、アタマハシリ、メツブシなどの名はその毒性による。

 中国大陸の原産で、日本列島では九州から東北の南部にかけて分布する。青森には野生せず、秋田や岩手でも分布は限られる。これはヒガンバナの生態に起因する。九月に開花した後、冬に葉を展開するが、寒さが厳しかったり、積雪が多いところでは育たない。土手、堤防、畔、道端、墓地、線路の際など、人手の入っている場所に生育している。特に田畑の縁に沿って列をなす。時には花時に見事な景観をなす。湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのが見られる。なお、山間部の森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里(里山)であった可能性を示す。
このような人里植物の多くは、我々の祖先が稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入して持ちこんで拡がった帰化植物で、古くて記録にとどめられていない。それを前川文夫博士は史前帰化植物と定義した。水田のヒエ、畑や庭のスベリヒユやハコベなどが該当する。ただヒガンバナについては、土に穴を掘る小動物(モグラ、ネズミ等)を避けるために有毒な鱗茎を敢えて持ち込み、畦や土手に植えたと推測する意見もある。

 前述のように、ヒガンバナは有毒植物として知られており、特に鱗茎に作用の激しいアルカロイドを約1%含んでいる。含有されるアルカロイドとしては、リコリンが50パーセントであるが、それ以外にも、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリンなどを含む。リコリンの語源はヒガンバナ属の学名「リコリス」に由来し、経口摂取すると流涎(よだれ)や吐き気、腹痛を伴う下痢を起こし、重症の中毒の場合には中枢神経の麻痺を起こして苦しみ、稀に死に至る場合もある。

 鱗茎はデンプンに富む。鱗茎に含まれる有毒成分であるリコリンは水溶性で、すり潰して長時間水に晒し、何度か水を換えれば無害化が可能であるため、食べることができた。しかし、毒性が強いため、どの程度さらせば無毒化して安全に食べられるのかについての定説は見当たらない。古い時代に飢饉の際の飢えを救ってきた救荒植物として、食料とするため各地に植えられたと考えられている。そうして得たでん粉で団子を作ったり、焼いて食べたことが、奈良、和歌山、高知、愛媛、徳島、熊本などで記録されている。第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされ、春先に採取されたこともある。また、花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のニラやノビル、アサツキに似ているため、誤食してしまうケースもある。

 また鱗茎は石蒜(せきせん)という名の生薬でもあり、漢名にもなっている。葉が枯れ始めた頃に鱗茎を掘り上げて、ひげ根を取り除いて水洗いした物で、往年は製薬原料に用いられた。民間では、外用薬としての利用法が知られ、肋膜炎、腹膜炎、腎臓病などの水腫に、球根をすりおろして、トウゴマ(別名:ヒマ)を一緒にすり鉢で砕いてすり混ぜて、両足裏の一面に布などに塗りつけて湿布し包帯を巻いておくと、利尿作用によりむくみを取り去ることに役立つとされる。ただし、利尿や去痰作用を有するものの有毒であるため、素人が民間療法として利用するのは危険である。毒成分の一つであるガランタミンは、アルツハイマー病の治療薬として利用されている。

 日本列島で繁殖しているヒガンバナは、染色体が基本数の3倍ある三倍体であり、正常な卵細胞や精細胞が作られないため、いわゆる「種なし」になってしまい、一般に種子では子孫を残せない。種子ができない代わりに、土の中で球根を作り、人手を介して株分けして繁殖してきたため、遺伝的には同一遺伝子を有し、同じ地域の個体は開花期や花の大きさや色、草丈がほぼ同じように揃う。また自ら生育地を広げる術を持たないため、人の手が一切入らないような場所に、突然育つことがない植物である。
というのが、定説になっている。しかし、美術館を開設したころ、庭にヒガンバナは1か所でしか咲いていなかった。ところが、いつしか3か所にまで増えている。鱗茎を掘り起こして別の場所に植えた覚えはない。種ができないというが、できることもあるのではないかと疑問に思った。それで調べてみたら、「ふつうは結実することはないが、ごく稀に種子ができる場合がある」とする説があった。本当はどうなのだろうか。

 庭にはシロバナヒガンバナも咲いている。これは知人から貰ったものである。シロバナヒガンバナはヒガンバナの色違いのような白い花を咲かせる。花弁がさほど反り返らず、やや黄色みを帯びる。葉もやや幅広い。一説には中国のショウキズイセンと、種子を作る種のヒガンバナの雑種であるとも言われている。揚子江の上流域には種を作る二倍体のヒガンバナがある。また赤い花を咲かせるヒガンバナが突然変異を起こして、白色のヒガンバナが生まれた可能性もあるとする説も見られる。