ヒルガオ(昼顔)

 
 夏になると、雑草が生い茂る野原に転々と薄桃色の漏斗状の花が咲く。ヒルガオである。ヒルガオはヒルガオ科ヒルガオ属の植物である。同じ科のアサガオが花後、種子を付けた後枯れる一年草であるのに対し、ヒルガオは蔓性の多年草である。日本全土に広く分布している。ヒルガオは昼間に咲いているという意味だが、朝の4時頃から咲き始め、昼を過ぎて午後の2時頃には閉じ始め、5時頃にはほとんどが閉じてしまう。その間に、チョウやハチが蜜を求めて訪花する。しかし、花後、結実するのはまれだという。また、ヒルガオも花が咲いた後は地上部は枯れてしまう。にもかかわらず、毎年花を付けるのはなぜなのだろう。
 地下に肉質で白色の根茎が有り、地中で横に広がり、地下茎を張り巡らしている。そして、夏が近づくと、この地下茎から蔓性の茎を伸ばし他物に巻き付いてよじ登り、夏、葉腋から伸びた花柄の先に経5cm程の漏斗状の花を一つ咲かせる。
 ヒルガオは雑草扱いされているので、時に伐採され、土も掘り起こされて地下茎もずたずたに切断されることがあるが、なんと切断された根茎からも再生し、蔓性の茎を地上に伸ばしていく。

 ヒルガオの若芽や若葉、蔓先はお浸しや塩漬け、混ぜご飯にして食用とする。また、 地下茎は煮物や揚げ物にする。サツマイモに似た味がするという。
 漢方では、全草を乾燥させたものを旋花といい、腎炎などのむくみの利尿や強壮薬とする。

    高円の 野辺の容花(かほばな) 面影に 見えつつ妹は 忘れかねつも                                   (大伴家持 巻8.1630)

   (高円の野辺に咲く容花(かほばな)。この花のように、妹(妻)は面影に見えて、忘れることができない)

この歌は大伴家持が坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に贈った長歌の反歌である。大嬢は家持の従妹でのちに正妻となった。

 大槻文彦の『言海』によれば、「かほ」とは形秀(かたほ)の略語で、もともとは目鼻立ちの整った表面(おもてづら)を意味するという。よって、容花とは姿の美しい花を意味する。容花はカキツバタ、オモダカ、ムクゲ、キキョウとする説も有る。現在では、ヒルガオとするのが定説となっている。
容花をヒルガオと最初に唱えたのは、国学者で『万葉集古義』を表したの鹿持雅澄(かもちまさずみ:1791~1858)で、カホバナと音韻的に近いカッポウ(備後)、カッポグサ(熊本)の方言名もあるので説得力がある。

しかし家持のこの歌は、集中では「秋の相聞歌」となっており、ここに収録された歌はいずれもハギ、ナデシコ、カエデなど秋の風情を詠っている。ヒルガオは初夏の花であり、秋の草花というには無理かある。秋の高円の野辺に生えるとあれば、キキョウがふさわしいのかもしれない。

万葉集には容花を詠んだ歌はこの歌も含めて4首ある。以下にその内の2首

   石橋の 間々に生ひたる かは花の 花にしありけり ありつつ見れば           (巻10.2288、詠み人知らず)
   うち日さつ 宮の瀬川の かほ花の 恋ひてか寝らむ 昨夜も今夜も            (巻14.3505、詠み人知らず)

 この2首を詠むと、容花はいずれも川の中か川辺に咲いているようである。 ヒルガオが川辺または川の中に咲いているというのはありえないことなので、他の花と考えられる。
 国文学者で万葉学者である澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890~1968)は、容花を抽水植物と推定しオモダカとしている。
 ただオモダカは地味な植物で女性に例えるのには無理があるように思える。

 容花を固有名詞と考えることに無理があるのではないか。もっと単純に姿形の美しい花の総称と考えた方がいいのではないか。