キリ(桐)

   
 美術館で桐の花の絵を展示していると、来館者の多くの方が桐の花を見たことがないと言われる。その理由をお聞きしたことはないが、概ね二つの理由が考えられる。一つは桐がそれほどポピュラーな木ではないので、身近には無いこと。もしあっても、桐の花は高い木の上で咲いていて、気づかないことである。桐の花が咲いていると、遠くからは目にすることがあるが、木の傍を通っても高い木の上で咲いているので、知らずに通り過ぎてしまうことのほうが多い。美術館から15分ほど歩いたところに1本の桐の木がある。十数年間もこの前の道を週に2度ほど散歩していたが、桐の花が咲いているのに気づかなかった。昨年(2021年)の5月のある日、その近くで何気なく上を見上げて初めて桐の淡紫色の花が咲いているのに気が付いた。歩いている時、人の目線は前を向いているか、やや下を向いているから、上に向けられることはめったにないようだ。
 
 キリ(桐)はキリ科キリ属の落葉広葉樹である。新エングラー体系やクロンキスト体系ではゴマノハグサ科に分類し、学者によってはノウゼンカズラ科に分類されていたが、ゲノム解析によるAPG体系(被子植物系統グループ:Angiosperm Phylogeny Group) でキリ科に分類されるようになった。
 キリは中国原産で、古い時代に日本にもたらされたいう。しかし九州の大分・宮崎両県と島根県隠岐の島に野生のキリがあり、原産地は不明との意見もある。
日本では特に東北地方、関東北部、新潟県などにおいて植栽される。中でも福島県の会津桐や青森県と岩手県のの南部桐などが有名である。
岩手の南部桐は足利時代末期に、遠野南部家が大和国よりキリの苗を取り寄せて栽培したことに始まるといわれている。特に嘉永年間に盛んに栽培され、明治に入ってからは県の主要産業になった。そして昭和29年、キリの花は県花に指定され、福島の会津桐と共に優れた材質の生産地といわれている。

キリは成長すると高さ10 - 15m 、幹の直径は50cm になる。丸く横広がりの樹形になり樹皮は灰白色。日当たりの良いところを好む性質で、短期間で早く生長する。葉は大形で長さ30㎝の広卵形。葉の表面に軟毛が密生する。5月頃、葉に先だって淡紫色の大きな筒状唇形花が多数咲く。果期は7月 - 翌年1月、実がなり、熟すと割れて種子が飛び出る。翼(よく)のついた小さい種子は風でよく撒布され、発芽率が高く生長が早いため、日本各地に野生化した個体が見られる。
キリは日本国内でとれる木材としては最も軽い(比重0.27-0.30)。材質は広葉樹や針葉樹の繊維構造とは異なる。それは細胞の壁が薄く、空気をたくさん含んだ構造である。木材の中の空気が多いと熱の伝わりかたが遅くなるため、断熱効果が高く燃えにくい。また湿気を通さず、割れや狂いが少ない、さらに光沢が出るという特徴がある。そのため日本の建具、家具、箪笥や楽器の材料とされてきた。
江戸時代から桐箪笥が全国各地で作られ、江戸時代後期の安政の大地震のあとでは、耐火性に優れたキリは洪水に遭っても浮いて流れ中身を守ってくれる特性が確かめられたので、桐箪笥がよく売れたといわれている。「桐の箪笥」といえば高級家具の代名詞といえるほどよく知られ、静岡県藤枝市、埼玉県春日部市、新潟県加茂市が三大生産地といわれる。

キリがゴマノハグサ科に分類されていたのは、草本に近い性質を持っているからである。比重が小さいと、草と同様に強度を犠牲にして背を高くできるのである。実際、キリは1年に3mも伸びることがある。
 また葉の光合成能力は樹木の中では最も高く、これも速い成長に役立っている。
かつて娘が生まれるとキリを植え、結婚する際にはそれを伐採して作った箪笥に着物を詰めて嫁入り道具に持たせるという風習があった。また桐材を使い琴や琵琶などの弦楽器を作り、軽量性は釣具の浮子(うき)にも利用された。
 
 キリの成長が速いもう一つの理由は、葉の光合成能力が非常に高いことである。光合成能力は葉のタンパク質量に比例することが知られている。タンパク質を作るには窒素が必要であり、根の窒素吸収能力が高いほど、光合成能力が高くなる。キリは窒素を効率的に吸収することで、高い光合成速度を実現しているのである。
 根の窒素吸収能力を上げるには、同じ根の重さならば相対的に表面積の大きい細い根を作る必要がある。草本の根は細く、窒素吸収能力が高い。キリも草本と同じような根を作る。しかし、細い根は土壌中の微生物にアタックされやすく、キリはどうしても短命となる。

 日本の文献でのキリの名の初出は『万葉集』である。大伴旅人の歌(巻5.810)の題詞に「梧桐(ごどう)の日本(やまと)琴一面 對馬の結石(ゆひし)の山の孫枝(ひこえ)なり」とある。大伴旅人は天平元(729)年、藤原房前(ふささき)に対馬産の梧桐で作らせた日本琴を贈った。現代中国では梧桐とはアオギリことである。しかし、六世紀の中国の農書『斉民要術』には、桐(白桐)は楽器にするが、青桐はこの役に立たぬと書かれている。アオギリは水分が多く、乾燥すると狂いやすく、楽器には向いていない。それに比べキリは狂いが少なく、湿気を通さないので楽器に適している。
この文中の孫枝は、幹の途中から出た枝ではなく、根元から出た萌芽のことである。このように萌芽から成長した木を用材とするのは桐である。したがって『万葉集』のこの梧桐は、今日のアオギリではなくてキリであると考えてよい。

『源氏物語』の最初の巻は「桐壺」である。壺とは庭のことで、光源氏の母は桐の木が植えられていた庭のある淑景舎(しげいしゃ)に住む更衣であったところから桐壺と呼ばれた。光源氏の出生はこの桐に象徴されているように思われる。『枕草子』には、紫色に咲いた花はなんといっても風情があり、鳳凰という霊鳥が桐の木に棲むというのもすばらしい、さらにその材で作られた琴から妙なる楽の音が生まれて来るというのは、まったくすばらしいことだと褒めている。

 古代中国では聖王を象徴する鳳凰が「梧桐の木に宿り竹の実を食う」とされ神聖視された。日本でも菊とともに皇室の紋章で、菊は正紋、桐は副紋とされる。桐は平安時代の嵯峨天皇の頃から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされた。
 そして桐をもとに意匠化された紋章がいくつかある。それらを総称して桐紋もしくは桐花紋(とうかもん)という。
キリは鎌倉時代に後鳥羽上皇により皇室の紋章とされたといわれ、花の数によって「五七の桐」「五三の桐」といった。この桐紋が臣下に下賜されたが、豊臣秀吉は最初「五七の桐」を下賜され、次に「五三の桐」に代わり、最後に「五七の桐の太閤紋」に落ち着いた。
 明治時代に皇室の紋章は正式に「五七の桐」となり、民間では「五三の桐」を選ぶのが慣例となった。
 近代以降も五七の桐は「日本国政府の紋章」として大礼服や勲章(桐花章、旭日章、瑞宝章)の意匠に取り入れられたり、菊花紋に準じる国章としてビサやパスポートなどの書類や金貨の装飾に使われたり、「内閣総理大臣の紋章」として官邸の備品や総理の演台に取付けるプレートに使われている。過去に存在した国鉄の紋章も桐紋に蒸気機関車の動輪を組み合わせたものだった。