コブシ(辛夷)


   
  白樺 青空 南風
  こぶし咲くあの丘
  北国の あヽ北国の春
  季節が都会では
  わからないだろうと
  届いたおふくろの 小さな包み
  あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな

『北国の春』は、1977年4月に発表され大ヒットした千昌夫の歌謡曲である。
 コブシは古来、農事歴と深い関連をもち、北国では田の神の来訪する依り代と見て田仕事を始める目安とした。このため、「田打ち桜」とか「種まき桜」とも呼ばれる。「コブシの花が多いと豊作」(各地)、「コブシの花が咲くとイワシが捕れる」(佐渡)などの諺が多く伝えられている。

 モクレン科モクレン属の落葉広葉樹の高木。四国を除く日本全土に自生。日本以外では韓国の一部に自生するだけなので、日本の植物ともいえる。生長すると高さ20mにもなり、幹の直径はおおむね60cmに達する。
 開花前の蕾の先端は一様に北側に曲がる。これは日がよく当たる南側の成長が早いために南側が膨らみ、結果として、先端は北を向くわけである。3月から5月にかけ、枝先に直径6-10cmの花を咲かせる。花は純白で、基部は桃色を帯びる。花弁は6枚。枝は太いが折れやすい。枝を折ると、芳香が湧出する。果実は5-10cmで、袋果(たいか:内部に種子を含んだ、袋状の果実)が結合してできており、所々に瘤が隆起した長楕円形の形状を成している。秋、果実が熟して裂けると、まっ赤な種子を細い糸でいくつか吊り下げる。風で糸が切れ、種子が散り広がる。

 蕾の形が赤子の拳(こぶし)の形に似るところから名付けられたとされる。あるいは、果実が集合果であり、にぎりこぶし状のデコボコがあるからともいう。春に他の花に先立って咲くところから迎春花の名もある。
 日本では『辛夷』と書いて『コブシ』と読むが、中国では『辛夷』はモクレンのことである。中国ではモクレン類のつぼみを乾燥させたものを辛夷(しんい)と呼び、薬用にしていた。日本にはモクレンがなく、代用としてコブシのつぼみを使ったことから、辛夷はコブシのことを指すようになったようである。
コブシの若いつぼみにはシトラールやシネオールという成分が含まれ、慢性鼻炎、蓄膿症など鼻の疾患に用いられる。また花から香水をつくり、コブシ油を採る。材は器具材、炭は金銀研磨用に使われる。

永い眠りから覚めた種子
1982年、山口県山口市の朝田墳墓群という弥生時代の住居の発掘が始まった。それは約2000年前のものと考えられている集落で、すでに農耕がはじまっていて、収穫物をしまっておく穴蔵が発掘された。穴蔵のひとつから米粒が見つかったが、どれも真っ黒ですでに枯死していた。ところが、そのなかにひと粒だけ、米粒とは違う種子がまじっていた。その種子をまくと、やがて発芽した。それはモクレンの仲間だった。葉と全体の姿から、それがまちがいなくコブシであることも分かった。11年後、最初の蕾をつけた。ところがその蕾が開くと、現生のコブシの花とは違うことが分かった。コブシなら花弁は6枚のはずなのに、長い眠りからさめたこの木の花は8枚の花弁を持っていた。その翌年は、30個以上の花が咲いたが、花弁の数は6枚から9枚までまちまちだった。
 この古代コブシの花の変異が一時的な異常なのか、遺伝的な形質なのかは、まだ分かっていない。もし遺伝的な形質であるとすれば、この木は、地球上から1000年間姿を消していた古代コプシの唯一の生き残りということになる。つまり、近縁な仲間を変えていった進化のあらゆる力から免れて、その進化の流れから離れたところにとどまっていたといえる。 デービッド・アッテンボロー「植物の私生活」(山と渓谷社)より