マツ(松)


 
  年の始めの 例(ためし)とて
  終(おわり)なき世の めでたさを
  松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
  祝(いお)う今日こそ 楽しけれ

 「一月一日」という唱歌である。かつては正月になると、テレビやラジオからこの歌がよく流れていた。しかし、最近はあまり耳にすることもなくなってきた。
 それと同じように門松も目にすることが少なくなってきた。

 門松は、正月に家の門の前などに立てられる松や竹を用いた正月飾りである。古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神様を家に迎え入れるための依り代(よりしろ)という意味合いがある。
 神を迎える木はマツに限らず数多くあり、地方によっては現在でもサカキ、シイ、カシ、ウバメガシ、ツバキなどを使い、マツと併用することもある。しかし、いちばんよく使われているのはやはり松である。それは、松は常緑であり、葉が二枚で、夫婦円満で縁起が良いというわけである。

門松を立てる風習はいつ頃から始まったのだろうか。奈良時代の万葉集にはマツを詠んだ歌は77首あるが、門松を詠んだものは無い。だからといって、奈良時代にはまだ門松を立てる風習が無かったとは言い切れない。
 文献上の所見は平安時代の歌人藤原 顕季(ふじわら の あきすえ:1055-1123)の『堀川百首』の「門松をいとなみ立るそのほどに春明がたに夜やなぬらむ」である。
 平安時代後期の後三条天皇の時代の文人惟宗孝言(これむねのたかとき)の「本朝無題詩」に「近来、世俗は皆松を以って門戸に挿す。而れども余は賢木(さかき)を以って之に代える」と書いている。平安時代にはかなりひろまっていた様子がうかがえる。

 現在の門松はタケが中心にあり、マツは脇役のようだが、タケが組み合わされたのは鎌倉時代以降と考えられている。門松という名前からも分かるとおり、本来は「松」が主体である。

 江戸期の門松は現在と異なり、松の先を切らずに地面からそのまま家屋の二階屋根まで届くような高さのものが飾られていた。
 門松の様式には、地方により差がある。関東では3本組の竹を中心に、周囲に短めの若松を配置し、下部をわらで巻く形態が多い。関西では3本組の竹を中心に、前面に葉牡丹(紅白)後方に長めの若松を添え、下部を竹で巻く。豪華になると梅老木や南天、熊笹やユズリハなどを添える。
 門松がある期間のことを松の内といい、伝統的には元日から1月15日までを指し、関西などでは依然15日までのままであるが、近年では関東を中心として7日までとするのが多くなっている。

 マツ科マツ属は北半球に約100種類分布する。日本を代表するマツはアカマツとクロマツである。しかし、アカマツ、クロマツと区別するようになったのは江戸時代以降である。貝原益軒の「大和本草」ではアカマツを雌松(メマツ)、クロマツを雄松(オマツ)と区別している。アカマツ、クロマツの名が出てくるのは江戸時代後期の小野蘭山の「本草綱目啓蒙」からである。
 アカマツは北方性で内陸に適し、クロマツは南方性で海岸に適しているとされるが、長い植栽の歴史から混乱が生じている。

作品はクロマツで、クロマツはマツ科マツ属の常緑高木。本州、四国、九州の海岸地方に自生している。樹高は40m、径2mに達することもあるが、自然の状態ではそこまで成長することはまれである。樹皮が黒灰色であることからこの名がある。雌雄同株。雌花は紫紅色の球形で若枝の先に1~3個つき、雄花は黄褐色の円柱形で若枝の基部に多数つく。花後、雌花は長さ5~7cm、径3cm程の球果となり、翌年の秋に成熟する。
 日本では海岸線への植樹が古くから行われ、本来の植生や分布はよくわからなくなっている。汚染と塩害に強いために、街路樹や防潮林に使われる。いわゆる浜にある松原はクロマツで構成される。また、一般的な園芸用樹種であり、古来から盆栽用の樹種としても使われている。