クズ(葛)

    夏から秋にかけて、美術館の周りでクズが繁茂する。クズは、マメ科クズ属の蔓性の多年草である。万葉の時代から秋の七草の一つに数えられている。木に巻き付いて上に伸びる蔓はせいぜい十数メートルにしかならないが、平地では、匍匐して途中で根を出すので、いくらでも伸びる。蔓には全体に褐色の細かい毛が生えている。こんなに長く伸びても冬には枯れてしまい、翌春また新たに根元から芽をふき出す。葉は大きく長柄があり互生する三出複葉。小葉は長さ17㎝ほどの先端のとがった広卵形で、全縁またはしばしば浅く三裂する。葉質は厚く、上面は緑色で粗い毛がまばらに生え、下面は白色をおびて白色の毛をやや密生する。北海道から九州まで日本全土の山野の林内や林縁、土手などに自生しており、荒れ地に多く、人手の入った薮によく繁茂する。秋、葉腋から長さ20㎝ほどの総状花序を出し、紫紅色の蝶形の花を密集してつける。果実は扁平な豆果で長さ5-10㎝の線形で褐色の粗毛に覆われる。根もとは木質化し、地下では肥大した長芋状の塊根となり、長さは1.5メートル、径は20センチに達する。クズは根茎と種子により増殖する。

 夏に繁茂し、大きな葉を広げるクズは日差しの強さをどのように対応しているのだろうか。植物の光合成能力は一般に光が強くなるほど高くなる。ただし、あまり光が強いと光合成の能力を超えてしまう。そればかりか、強すぎる光は紫外線も多く、葉にとって害にさえなる。だから日の盛りになるとクズは葉を立てて、強すぎる太陽光をやり過ごす。一方、夜になれば光合成を行なうことができない。葉から水分が逃げ出すのを防ぐために、こんどは葉を垂らして閉じるのである。
 このように葉を動かして眠ることができるのは、水圧によって自在に葉を動かすことができる「葉枕(ようちん)」と呼ばれるしくみを葉の付け根に持っているからである。眠っていないときには、この葉枕によって葉の角度を微妙に動かしながら、効率よく太陽の光を葉に受けている。
 繁茂力の旺盛なクズは森を覆い尽くさんばかりに生長する。クズによって光を奪われた木々を枯らしてしまうほどの力を持っている。よじのぼる木がなくても困ることはない。茎をからませて、地面を覆い尽くしてしまう。
 そのスピーディな生育の秘密は二つある。一つは茎が蔓性であること。直立する草の茎は、倒れないように中身を充実させて強い構造に作らなければならないが、蔓性植物はその必要がないので、ぐんぐんと茎を伸ばすことができる。もう一つの秘密は太い根にある。葛粉の原料ともなる太くて大きい根に多量のエネルギーを蓄積していることも、旺盛な生育を可能にさせている一因である。

 クズの中国植物名(漢名)は「葛」である。クズの漢字はこの葛を当てる。 葛の音(おん)は「かつ」であり、蔓草を意味する「かづら」の語源ともいわれる。中国でも同様で、後漢の許慎(きょしん)による『説文解字』(100年頃)に「蔓、葛屬なり」とあり葛は蔓を代表する植物であった。『和名抄』に「久須迦豆良(くずかずら)」とあり、これがクズのフルネームであって、クズはそれが短縮されたものである。
和名のクズの由来については諸説ある。新井白石は「東雅」の中で、「根を粉にして食うので、粉屑(くず)の意味である」と述べている。しかし、現在では「言海」を編纂した国語学者・大槻文彦の「クズは国栖(くず)に関連している」という説が有力とされる。 かつて大和国(現:奈良県)吉野川上流の国栖が葛粉の産地であったことに由来する。国栖の人が、この植物を売り歩いたため、いつしかクズとよばれるようになったとする説である。国栖の人は短身長肢で、性格は純朴、山の果実やカエルを食べていた山人である。国栖人は応神天皇の時代に大陸から渡って帰化した異民族の一族であるとか、あるいは蝦夷(縄文人)ともいわれる。歴史学者の喜田貞吉は蝦夷ではない先住民だという。日本古代の謎の人種である。

 クズは食用・薬用・工芸用にと、いろいろに利用されてきた。

食用
 新芽・若葉は塩を入れた熱湯でゆでて、煮びたし、ゴマあえ、油いために。花は生のままで天ぷら、ゆでて酢の物にする。根は皮をむいてゆでこぼし、煮物にする。葛粉は和菓子や料理のあんかけに使う。その他に健康飲料として、クズ根でジュースなどもある。
クズの葉にはアミノ酸が豊富に含まれ、『救荒本草抜萃』には、「若葉はゆでて食ふべし、老葉はほして和へものなどにすべし」と記述されていて、山菜として利用されたことを示唆する。

葛粉
 古来から大きく肥大した塊根に含まれるデンプンをとり、「葛粉」として利用されてきた。現在、クズはどこにでも見られるが、その大半は、平面状に匍匐してクズ原をなすものであり、匍匐茎(蔓)の所々から根が出るので塊根を形成しない。葛粉を採るクズは林縁あるいは日当たりのよい斜面に生える木に絡まって真上に伸びるものである。木の上部でやぶ状になって林業関係者には嫌われるが、これが本来のクズの生態であり、伸びすぎることはないので、光合成でつくった養分は塊根に蓄積され肥大するのである。
 夏から秋にかけてデンプンを蓄えた塊根を掘り出すのは冬である。この頃には地上部は枯れてしまい、木質化した根元だけが残っている。これを見分けるには素人には難しく、吉野では「掘り子」と呼ばれる職人が居る。山深く分け入り、葛の根を掘り起こすのは重労働である。
 掘り起こした塊根を細かく砕いて水を加えて繊維を取り除き、精製してデンプンだけを採取する。採集できる葛粉は元の重量の1割ほどである。
 葛粉を湯で溶かしたものを葛湯と言い、熱を加えて溶かしたものは固まると透明もしくは半透明になり、葛切りや葛餅、葛菓子(干菓子)などの和菓子材料や料理のとろみ付けに古くから用いられている。

 産地は奈良県吉野、和歌山県田辺、新潟県小千谷など。中でも吉野葛が有名。すでに室町時代には贈答品として用いられたといい、『和漢三才図会』に[葛の粉は吉野の曝し葛、最上と為す]とあり、古くからその品質が認められていた。日本料理では「吉野」といえば葛粉を指し、各種料理に用いられる。ただし、一般に葛粉としてうられているのは大部分がジャガイモのデンプン。

薬用
葛根
 薬用に利用でき、日本や中国では薬物名として根の干したものを葛根(かっこん)、花が葛花(かっか)、葉は葛葉(かつよう)とよんで生薬にする。
 葛根はイソフラボン、カッコネイン、プエラオールなどを含み、発汗や解熱作用・鎮痛作用があり、風邪薬として著名である。

 葛粉に水と砂糖を加え、葛湯にして飲んでも解熱作用がある。

葛花
 花を乾燥させたものを生薬名葛花(かっか)と呼ぶ。夏の開花初期の頃、房になった花を花穂ごと採取し、風通しのよい場所で速やかに乾燥。有効成分は、イソフラボン。民間では二日酔いによいとされ、葛花1 - 3グラムを茶碗に入れて湯を注いで、冷たくしてから飲む。花は焼酎に漬け込んで、花酒にする。
 クズの花を乾かした「葛花」は二日酔の民間薬で、一日に1グラムほど砕いて飲んだり、3グラム煎じて飲んだそうだ(井波一雄『薬草健康法』)。

葛葉
 葉は随時生のものを活用する。民間療法で、山歩きなどで怪我をしたときの傷の止血に用いられ、葉を手で揉んで汁をつける用法が知られる。

飼料
 葉は飼料としても重宝されたが、こうした用途は減った。「ウマノオコワ」「ウマノボタモチ」といった地方名があるが、馬だけではなく牛、ヤギ、ウサギなど多くの草食動物が好んで食べる。


 クズの木質化した蔓は柔軟で、しかも強靭なので縄の代用になる。『日本書記』には神武天皇がクズの蔓で網を作り土蜘蛛(上代、日本にいた種族の名)を征伐したという話がある。
 近江地方では、蔓を水に浸して皮を除いたものから器をつくり、これを葛行李と称した。

葛布(かっぷ)
 葛の繊維で編んだ布は新石器時代の遺跡からも出土している。蔓を煮てから土中に埋めて発酵させ、取りだした繊維で編んだ布は葛布と呼ばれる。現在に伝わっている製法の葛布は平安時代ごろから作られていたとされる。

 江戸時代には『和漢三才図会』でも紹介された。かつては衣服・壁紙などに幅広く使われた。現在、葛布の伝統を守るのは静岡県の掛川である。その伝統的な製法は五月二五日頃、その年に伸びた一番蔓を刈りとり、煮て一夜川水に浸け、ススキなどの草で覆って二日間発酵させる。その後、表皮を洗い流し、乾燥させ、針で細かく裂いて繊維にする。
 現在の掛川の葛布はクズ糸を緯糸(ぬきいと、よこいと)に、木綿を縦糸にして織られるが、パリッとした薄茶色の布である。鎌倉時代、掛川城主の工藤祐光は源頼朝に招かれた折、葛布の直垂を着ていったと伝わる。今日ではもっぱら襖や表装地として用いている。

外国まで拡がった
 北アメリカでは、1876年にフィラデルフィアで開催されたフィラデルフィア万国博覧会(独立百年祭博覧会)の際、日本から運ばれて飼料作物および庭園装飾用として展示されたのをきっかけとして、東屋(あずまや)やポーチの飾りとして使われるようになった。
 さらに緑化・土壌流失防止用として政府によって推奨され、1930年代にアメリカ合衆国に、また1970年代には中国に導入されている。その他世界各地の砂漠地帯の緑化にも役立っている。アメリカのペンシルベニア州やテネシー州、その他南部諸州では家畜の飼料としても利用されてきた。しかし、繁茂力の高さや拡散の速さから、有害植物ならびに侵略的外来種として指定され、駆除が続けられている。