マンリョウ(万両)とセンリョウ(千両)

 
 冬に赤い実を付ける植物は数多くある。ナンテン、ガマズミ、オモト、ハクサンボク、セイヨウヒイラギ、ピラカンサスなど。その中でマンリョウとセンリョウは縁起物として、正月の飾り物にされる。マンリョウは「万両」、センリョウは「千両」に通じるからである。
しかし、マンリョウもセンリョウも初めから「万両」「千両」と表現されてはいなかった。旗本の水野忠暁(みずのただとし)の『草木錦葉集』(文政2年:1828)には「万量」をあてている。江戸の青山で植木屋を営んでいた金太(増田繁亭 金太は通称)の『草木奇品家雅見』三巻(文政10年:1827)の中にマンリョウが12品図示されていて、「まんりょう」「まん里ゃう」「万里ゃう」「万両」と記されている。ここで初めて「万両」の文字が登場する。
 センリョウも生け花の書『池坊専応口伝』(1542)には「仙蓼菓」、伊藤伊兵衛三乃丞の『花壇地錦抄』(1695)では「仙蓼」と記されている。
 江戸時代の後期になって、マンリョウが「万両」、センリョウが「千両」と表記されるようになったようだ。

マンリョウとセンリョウはよく似た植物である。しかし、全くの遠縁である。マンリョウはサクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木であり、センリョウはセンリョウ科センリョウ属の常緑小低木である。
マンリョウは高さ50~100cmほど。葉は互生し長楕円形でとがる。質は厚く光沢があり、波状の縮れた鋸歯がある。夏、枝先に白地に紅細点のある小花を散房状につける。
センリョウは高さ50~80cmほど。葉は対生し、長さ6~14cmの長卵形で先がとがり縁には鋭い鋸歯がある。夏、枝先に淡黄緑色の小花が穂状につく。
この二つの植物の見かけ上の違いは、果実をつけた状態にある。センリョウは赤い果実を葉の上に実らせる。それに対し、マンリョウは赤い果実を葉で隠すように実らせる。

 
            葉粒菌
 マンリョウは暖地の照葉樹林や雑木林の林床に自生し、栽培もされる。東アジアからインドまで広く分布する南方系の植物で、日本の関東地方が自然分布の北限にあたる。
 木といっても高さは1m程度。幹も細いがすっくと立ち、最上部に枝を放射状に広げて葉を構える。そしてその下に実のなる枝がつく。1本の枝が、1年目に葉を、2年目に花や実をつけ、3年目に枝ごと落下する。それで幹には枝の跡が丸く残る。枝の寿命も葉の寿命も約2年半。光合成の効率の落ちた古い枝葉を落として総入れ替え。  厚い常緑の葉は林床で生きるための必須アイテム。縁には独特の丸い鋸歯が並ぶ。鋸歯のへこみ部分にある小さな隆起には、共生細菌が住む。この「葉粒(ようりゅう)」の内部に空気中の窒素ガスをアンモニアに変えてくれる「葉粒菌」を住まわせて、貴重なタンパク源を得ている。葉粒菌は茎の先端、芽の内部に巣くっており、そこから「感染」する形で新しい枝や葉に移り住む。さらに花や実を経て種子にも「垂直感染]し、次世代に受け継がれる。このことは、最初は病原菌だった菌が長い進化時間を経て植物が用意した葉粒に収監され、共生菌となったことを語っている。葉粒は同属のヤブコウジやカラタチバナにもある。
 さて、冬景色の中、赤い実は枝の下側になかば隠れるようにして、つややかに光る。誘われて食べるのはヒヨドリやメジロ。硬い種子は消化されずに出され、新天地に落とされる。でも鳥にはあまり人気がない。みずみずしいまま時には1年以上も実は枝に残っている。おいしくないからだ。もし実がおいしくて鳥が一気に食べたなら、種子は同じ場所に落とされてしまう。でもまずければ、長い時間をかけて少しずつ食べられて、空間的にも時間的にも幅広く運ばれることになり、成功のチャンスも多くなる。

 センリョウは被子植物だが、ふつう被子植物の茎には水分を通す導管かあるのにセンリョウには裸子植物のように仮導管しかなく、管の途中に細胞壁の仕切りが残っている。そのために無導管植物と呼ばれ、系統的には原始的な被子植物である。
導管は細長い導管細胞が縦に並び、上下の隔壁が消えて管になったもの。隔壁が残る仮導管は水の輸送効率が劣る。被子植物にも仮導管はあるが、ふつうは導管の補助的な存在である。
 花の構造も変わっている。花には花弁や萼も無い。枝の先に1~2mmほどの小さい花が付く。黄緑色の雌しべの背中に黄色い楕円形の雄しべがに寄生したようにくっついている。雌しべ1個、雄しべ1個からなる単純な花である。果実になってもその痕跡は二つの黒い小点として残っている。果実の頂の点は雌しべの柱頭の跡で、横腹の小点は雄しべの跡である。雄しべは花粉を出すと雌しべから外れ、雌しべは冬までに直径5,6mmまで大きくなり赤く色づく。