子供の頃、盆になると近くの花屋に仏前に飾る供花を買いに行かされた。花屋に行くと、すでに盆花用の供花が何種類か用意されていた。菊の花が多かったように思うが、あまり覚えていない。都会に育った私には、盆花とは花屋で買ってくるものだと思っていた。 盆花は本来野草を摘んできて仏前に供えたものである。夏のことなので、花の種類も限られていた。ミソハギ、オミナエシ、キキョウなどが代表的なものである。しかし、地方によってはオトコエシ、ヒヨドリバナ、コマツナギ、ホオズキ、ナデシコ、オニユリなどの草花も用い、それにシキミ、アカマツ、タケ、ホオノキなどの木本が加わった。 ミソハギはミソハギ科ミソハギ属の多年草でハギ(萩)と付くが萩の仲間では無い。本州、四国、九州の山野の湿地や田の畔など水辺に自生する。茎は直立して高さ1m程。茎の断面は四角い。葉は長さ数センチで細長く、対生で交互に直角の方向に出る。7~8月、上部の葉腋に3~5個ずつ柄のない紅紫色の6弁の小花をつけ、穂状となる。 雄しべは12個、6個は長く、6個は短い。雌しべは1個。花は異花柱性(三型花柱性)を示し、雌しべが長い花(長花柱花)、中くらいの花(中花柱花)、短い花(短花柱花)の3型があり、それに応じて雄しべの長さも中+短、長+短、長+中の組み合わせになっている。長花柱花は雌蕊が花冠から飛び出し、丸い柱頭がよく目立つ。雄蕊は短い。異なる花の間でのみ結実し、自家受粉を防いでいる。 ミソハギの和名の由来は花がハギに似て禊(みそぎ)に使ったことから禊萩、または溝に生えることから溝萩や水辺に生える水萩によるといわれる。 禊(みそぎ)は罪やけがれをはらうために、川などの水を浴びて身を清めることで、本来は神道における不浄を取り除く行為である祓(はらえ)の一種である。 湯浅浩史は『植物と行事 その由来を推理する』(朝日選書)で,次のように記述している。 「長野県では、新しい瀬戸物の壺に水を入れてミソハギを挿し、その水をつけて「パッーツ、パッーツと打った」と宇都宮貞子は記録した(『草木の話』春・夏編)。これは、盆に家に帰ってきた祖霊に水で禊をさせる意味だったのではなかったろうか。ミソハギにはショウロウバナ(行霊花)の方言もある。精霊は、生きている人が知ることのできない異次元にいる。だから、戻ってきた精霊に水をかけて、清めてから家に入ってもらった、と解釈できる。 昔、ワラジで旅をしたころ、遠来の客を家に迎えるには、まず水を入れた桶を差し出して、足を洗ってもらった。ほこりや汗を流してもらう意味があったのはもちろんだが、家に入れる前に清める形は、精霊を迎える儀式を思わせる。 精霊にただ水をかけるだけであれば、ほかの植物を使ってもよさそうだが、それがミソハギに限られたのは、なぜだろう。かつては、精霊の禊だけでなく、生身の人の禊にも使われていたからではなかろうか。ミソハギは水辺に咲く。禊は水辺で行われる場合が多い。禊をする際に、手近なミソハギを利用したことは十分考えられる。 それでもなお、なぜ禊にミソハギを用いたのかという疑問は残らないではないが、占いに使ったというメドハギをはじめ、ハギと名のつく植物は儀式に係わったと思われる痕跡が少なくない。ハギの語源を「掃き」とすると、かつて、ハギが神域を掃き清めるのに使われたことがあったのかもしれない」 近縁のエゾミソハギとともに、全草を乾燥させて千屈菜(せんくつさい)と称して下痢止めなどの民間薬とされ、また国・地方によっては食用にされる。千屈菜(みそはぎ)は秋の季語。 |