9月になると、美術館の周辺の草むらからニヨキニョキッとナンバンギセルが顔を出す。目立つものもあれば、草陰に隠れてひっそりと咲いているものもある。 ナンバンギセルはハマウツボ科ナンバンギセル属の1年草であり、他の植物の根に寄生して、そこから養分を取りながら生育する全寄生植物である。葉緑素を持たないがゆえに自分で光合成をして生長することができない。光合成はしないが、葉はあり、小さなうろこ状に退化し、色も緑でなく赤茶色である。花が咲くまで姿がほぼ見えないので夏から秋の開花時期にいきなり生えてきたように錯覚するが、生育期には鱗片状の葉を複数枚つけた茎は地際にあり、数ミリとごく短く、大部分が地中にあり宿主の養分を取って生長している。夏以降にそこから花柄をにょっきりと伸ばす。花柄の先端にはぷっくりとふくらんだ萼(がく)があり、そこから淡い紅紫色(まれに白色)の花を一輪、うつむきかげんに咲かせる。夏から秋に開花して、黒くなって枯れる。枯れた花びらの中で実は熟し、果皮が破けて十数万ともいわれる種子が風によって飛んでいく。種子は直径0.2mmほどとホコリのように小さく、風によく飛ぶ。寄生するのは主にイネ科やカヤツリグサ科などの単子葉植物で、具体的にはススキ、サトウキビ、ミョウガ、ギボウシなどが挙げられる。 ひっそりと咲いているようだが、時に異常発生して、宿主に大被害をもたらすことがある。昭和32年、東京・小金井で異常発生し、陸稲(おかぼ)が大被害を受けた。また、フィリピン、台湾、小笠原などで異常発生し、サトウキビ畑を全滅させ、砂糖業に大打撃を与えたことがある。 ナンバンギセルの名前は、桃山時代に南蛮からタバコとともに渡来したキセルの雁頭に花形が似ていることからつけられたものである。しかし、実際にナンバンギセルと呼ばれるようになったのは江戸時代の中頃過ぎのようだ。本草学者の 島田充房・小野蘭山の共著「花彙」(1765)が初出のようだ。 万葉集にはナンバンギセルを詠む歌が一首だけある。 道の辺の 尾花が下の 思草(おもひぐさ) 今さらになぞ 物か思はむ (読み人知らず 巻10.2270) (道ばたの尾花に寄生して咲く思草のように、今さら、何を思い迷うことがありましょうか) 思草をリンドウやツユクサとする説もあったが、今ではナンバンギセルが定説となっている。何よりも群生する尾花(ススキ)の下に生育するのは、光合成をするリンドウやツユクサには向いていない。また「日本植物方言集成」によれば、千葉県柏市周辺にはオモイグサという方言名がある。 直立する花柄の先に淡紅色筒状の花をうつむかせて咲かせる。その思わしげな風情が思草の名を生み出したのだろう。ナンバンギセルという無粋な名前より、「思い草」の名の方が余程風情がある。 |