オミナエシ(女郎花)

   オミナエシ(女郎花)

 オミナエシ科オミナエシ属の多年草。日本を含む東アジアを原産地とし、日本各地の日当たりのよい山野に自生。茎は直立し、高さ60-100cmほど。葉は対生し。羽状に細かく切れ込む。8~10月、茎の上部が3つに分枝し、茎の先に粟粒ほどの小さな黄色の花を敵房状にたくさん咲かせる。花は先が5つに裂けた合弁花で、直径3mmほど。結実して種子でも増えるが、多くは株わきにできる新苗で繁殖する。
 盆花としても利用される。近畿地方では、七月七日を七日盆といい、盆花を供えて盆行事にはいる。
 オミナエシという名は「オミナメシ」から転訛したとする説が有力。「オミナ」は女の意でやさしさを表し、「メシ」は花の姿が粟飯によく似ていることから「アワメシ」となり、「あわ」を省略して「オミナメシ」となって、さらに「メ」が「ヘ」に転訛したという。

 漢方では根を乾燥したものを敗醤根(はいしょうこん)と呼ぶ。これは根の部分が腐った醤油のような臭いがするためである。この敗醤根を煎じて消炎や排膿などに用いる。血流をよくする効果もある。通経や産後の腹痛などの婦人病にも効く。

 秋の匕草の一つとして古くから親しまれてきた。「万葉集」にはオミナエシを詠んだ歌が14首あり、女郎花、娘子部四、佳人部為、美人部帥などと記されている。
オミナエシに「女郎花」という漢字が当てられるのは平安時代の初め頃からである。
「和名抄」の記事によれば、「新撰万葉集」がその初めらしい。「新撰万葉集」は、「万葉集」から「古今集」に至る間の唯一の私撰和歌集で、菅原道真撰と伝えられ。その下巻に「女郎花、倭耿云、女倍芝」とある。
 平安時代には、「女郎」は高貴な女性という意味で、遊女という意味は無かった。
 平安時代には「女郎花合(おみなえしあわせ)」という遊びがあった。人びとが左右に分かれてオミナエシの花に歌を添えたものを出し合い、その優劣を竸ったという。
 陰暦七月を女郎花月という。
 昔、京都の西にある八幡の里に住む小野頼風という男を慕って京から訪ねてきた女が、男が別の女に心を移したことを知り、川に身を投げて死ぬ。その女の残した山吹襲の衣が朽ちてそこからオミナエシが生えたという伝説がある。謡曲「女郎花」はこの伝説を素材とする。