ラン科の植物は最も遅く地球上に現れた植物で、今なお盛んに種分化し、新しい種が生まれている。ラン科の植物が陸上に現れたころ、すでに陸上は多くの植物で埋め尽くされていた。植物にも生存競争がある。植物にとっての最適な位置を奪い合っている。また環境の変化にも対応していかなければならない。生存競争に負ければ、絶滅の危機に直面する。これまでにも多くの植物が絶滅を迎えている。最も遅く地球上に現れたラン科はほかの植物にはない巧みな手段をもって生存競争に挑んでいる。ラン科の植物は種子植物中最大の科で、750~800属、25,000種に上ると見られている。ラン科は最も進化した植物とされ、それぞれがユニークな手段をもって生き残りにかけている。 その中でも驚くべき手段を身に着けたのがオフリス属である。オフリス属は、ヨーロッパの地中海沿岸を中心とする草原に自生するランで約25種が知られている。 そのオフリス属に会うために、2010年の4月にボタニカルアートの生徒10数人と共に、イタリアのガルガーノ半島に飛んだ。 ガルガーノ半島のほぼ中央にあるガルガーノ国立公園の事務所で、案内をしてくれるナチュラリストの青年と落ち合った。すぐそばに小さな博物館があり、中に入ってガルガノ半島の説明を聞く。 ガルガノ半島はもともとアドリア海を挟んだ反対側にあるクロアチアの一部であったが、太古に地殻変動により切り離され島になった。そして移動してきてイタリアにぶつかり半島になったものである。イタリアは長靴の形をした国であるが、ガルガノ半島は踝(くるぶし)のようにアドリア海に突き出た半島である。ガルガノ半島が誕生したのが約2億年前だという。 そのため、このガルガノ半島の植生はクロアチアとよく似ている。また、元々島だったので動植物もイタリア本土とは違うものが多い。パネルに展示された花もガルガノだけの固有種が何点か展示されている。たとえば、カンパニュラ・ガルガニータ、システィクルージオ、スカビオサ・ガルガニータなどである。 この半島は小さな半島だが、植生が豊富でイタリアの植物の35%を占めている。 博物館の見学を終え、バスでオフリスを見に行くことになった。この年は天候が不順で博物館の近くのオフリスランはまだ咲いていない。ここからモンテ・サンタンジェロに向かう途中に咲いているからそこに案内するという。 博物館の周辺は鬱蒼とした林であったが、バスでモンテ・サンタンジェロに南下していくと、林が途切れ道の左右に野原が広がっていた。10数分でバスを降りる。 野原に足を踏み入れると、あちこちに数種類の花が咲いている。ナチュラリストの青年がすぐに何種類かのオフリスを見つけ、教えてくれた。 ガルガノ半島に自生するオフリス属は唇弁に毛が密に生えてることと、唇弁の中心にメタリックな光沢を特つ部分のあることが特徴で、花を見るとひとめでオフリス属だとわかるという。 オフリス属の変わった花は、種ごとに特定のグループのマルハナバチのメスに擬態した結果であることが明らかになっている。すなわちオフリス属の唇弁は、メスバチの形や色、そして体毛に似せた形質に進化したため、オスバチは唇弁をメスバチと勘違いし交尾を試みる。その際オスバチは、知らず知らずのうちに花粉を体につけてしまう。そしてオスバチが次の花に飛んで交尾を繰り返すとき、こんどは花粉を雌しべにつけてしまい受粉が成立する。さらにオフリス属の花は、メスバチがオスバチを引き寄せるために使う性フェロモンに似た物質(香り)を放ち、オスバチをだますという念の入れようである。さらに不思議なのはオフリスの咲く時期である。ハチの寿命は60日足らずである。まずオスバチが孵化して活動を始める。その後一週間ほどおいてメスバチが孵化して活動を始める。オフリスもさすがに、本物のメスバチにはかなわない。そこで、なんとメスバチが孵化するまでに咲いて目的を達成するという。これらの一連の行動を「偽交尾」と呼ぶ。 このような昆虫の配偶行動をたくみに取り入れた受粉メカニズムは、オフリス属などわずかなラン科にしか知られていない特異なるものである。 我が国では、オフリス属のランをまとめて、「ビー・オーキッド」或いは「蜂蘭」と呼んでいる。 オフリスとは植物分類の基礎を築いたリンネが1753年に著わした:『SpeciesPlantarum』で記載した属で、萼片の形を眉に見立てて、眉毛を意味するギリシア語ophrysを属名としている。 オフリス・ガーガニカOphrys garganica 草丈30cm前後。花は幅2.5cm前後。花弁は萼片よりわすかに小さく淡褐色。唇弁はほぼ円形で、濃暗紫褐色のビロード状。中央に複雑な金属光沢のある斑紋がある。マンモーサの自生地とはそれほど離れていないが、形態は安定している。 オフリス・スフェゴデス・マンモーサOphrys sphegodes ssp.mammosa ヨーロッパに広く分布し、変異が大きい。落葉性の地生ラン。葉は楕円形から槍形で長さ4~8cm。春~夏に花穂を出し、花は緑~黄色に変わり、蜘蛛に似た黒褐色の模様がついた唇弁をもつ。花期は3~5月。 高さ30~40cm。花は径2.5cm前後。唇弁は広卵形、中央にH形の青い金属光沢のある模様がある。ほかは濃暗紫褐色でビロード状、縁には短毛が密生する。近縁種との中間型が多く、花弁や萼片の色も淡緑色から桃色まで変異に富む。 オフリス・テンスレディニフェラOphrys tenthredinifera 地中海沿岸に広く分布。落葉性の地生ラン。草丈は10~20cmと低いが、葉のサイズは他種と変わらない。花は径2.5cm前後、背がく片は楕円形ですい柱に覆いかぶさり、側がく片は広楕円形で水平、ともに濃桃色。唇弁は倒広心形で、先端は切れ込む。全体がビロード状で、短毛が密生する。全体に小型だが、花が大きく、かつ美しい種。 オフリス・ルテアOphrys lutea ラン科 イエロー・ビー・オーキッド yellow bee orchid; yellow ophrys 地中海沿岸に広く分布。高さ30cmだが、しばしば5~6cmの場合がある。萼片は緑色、花弁は緑色または黄色、唇弁は黄色で中央が赤褐色。花期は3~5月。 オフリス・ベルトロニーOphrys bertolonii 本種は、ロゼット葉は長楕円形、長さは3cm前後。花茎は高さ10~15cm、4~8花が下から順に開花する。花は径2cm前後、萼片は長楕円形、桃紫色で中央に線色のすじが入る。花弁は線形で短い。唇弁は広楕円形、濃紫褐色でビロード状、中央に円形ないし輪形の光沢のある灰青色の斑がある。 |