サルスベリは中国南部(長江流域)原産のミソハギ科の落葉中高木である。日本の文献での初出は貝原益軒の「花譜」(元禄7年:1694)とされ、すでに古木であったので江戸時代の初期の渡来とされていた。しかし、鎌倉時代後期に成立した私撰和歌集である「夫木和歌抄」(ふぼくわかしょう)の中に「さるなめり」の名がみられる。「さるなめり」はサルスベリの別名である。さらには、宇治平等院で、2010年(平成22年)に阿字池の底にある平安時代中期の940年(天慶3年)頃の地層からサルスベリの花粉がマツ・スギなどの花粉に混じって検出された。このことからサルスベリの日本への渡来は平安時代と考えられている。 和名サルスベリの語源は、木肌が滑らかで、木登りが上手なサルでも滑り落ちるほどであるという例えから名付けられている。また花が咲く期間が長いことから、ヒャクジツコウ(百日紅)の別名もあり、漢名もまた百日紅である。 花期は7 - 10月。枝の先端に群がってつく。花の色は紅、紫紅、白、淡桃、濃桃色など変異に富み、八重咲もある。円錐花序になり、萼は筒状で6枚、花弁も6枚で縮れている。この萼が6枚、花弁も6枚という6数性の花は他にザクロやクチナシなど少数派である。花の中央に雌しべが1本あり、雄しべが約40本ある。その内の6本が長く伸び下を向いている。この6本の雄しべだけ受粉能力があり、他の雄しべは昆虫を誘うためにある偽雄しべである。花は開花したその日で萎んでしまう一日花であるが、蕾が次々と開花するため、百日紅の別名どおり100日近く咲き続ける。 果期は8 - 11月。果実は円い蒴果で、先が6つに割れて、翼がある種子を飛ばす。果実は種子を飛ばしたあとも遅くまで枝に残っている。 【韓国の神話】 昔々、韓国の海岸の漁村で毎年水難を防ぐために村の娘を竜神に捧げる風習があった。ある年、この村の第一の長者の娘がそれに選ばれた。娘は終日泣き続けたが、長者であるからといって村の掟に背くわけにもいかず、娘は生贄として最後の化粧を終え、海岸に立って竜神が来るのを待っていた。その時、この国の王子が黄金の舟を操ってこの岸に通り合わせ、この娘から事情を聞き、美しい娘が人身御供にされるのを不憫に思い、娘のために竜神と戦ってこれを征伐した。 自分の命を救ってくれた恩人に、烈しい思いを寄せるのは自然の成り行きで、王子とこの娘は恋仲になったが、王子は王の命令で他所へ行くべき使命があったので、100日目の再会を固く約束して旅立つことになった。一日千秋の思いというのは、娘の心情であったことだろう。しかし、再会の楽しい日を前にして娘は死んだ。 100日目の朝、役目を果たして現れた王子は明るい顔をして娘を訪ねたが、娘の死を知り地に伏して慟哭した。その娘の遺体をねんごろにとむらい埋めたところ、そこに何時しか2本の木が生え、それぞれ紅白の花が咲き続けた。これこそが100日間も王子を待ち侘びた娘の化身だろうというので、この木をそれから百日紅(ヒャクジツコウ)と呼ぶことにしたという。この木が100日もの長い間花が咲いているのもそのためだという。 【中国の民話】 中国の吉林省に住む朝鮮族の人たちの語り伝える民話 海を荒らす三つの頭のある大蛇の姿をした怪物を、若者が仲間達と退治しに海に出ていったあと、その恋人である娘は、鏡にうつる映像から若者が死んだものと思いこみ、海辺で倒れて帰らぬ人となりました。 やがて、その墓に赤い花が咲いて百日たったとき、怪物を退治した若者が海から帰り、娘の死を知って号泣します。 漁村の女の人たちは、その娘の墓に生えた花を百日紅と名づけて、家に持ちかえって植えることにしました。毒蛇は、娘の化身である百日紅の花の匂いがきらいなので、あえて近づこうとはしません。いまも朝鮮族の人たちが、味噌甕を置く台の近くに百日紅を植えているのは、毒蛇をさけるためだといいます。 |