スイセン(水仙)

   
  冬のある日、美術館の庭に出てみると、足裏でカシャカシャという音がする。霜柱が壊れる音である。そんな凍てついた庭の片隅に、ニホンスイセンが顔をそろえて咲いていた。
 スイセンの花は少し変わった構造をしている。花弁は6枚。外側の3枚は萼の変化した外花被片、内側の3枚が花びらの内花被片である。花の内側に黄色い皿状または筒状に突き出した副花冠がある。この副花冠はおしべが変化したものだという。この中に雌しべが1本、雄しべが6本ある。花は横向きに少しうつむき加減に咲く。

 スイセンのふるさとは地中海沿岸だという。古い時代に、中国を経由して日本に渡来してきたという。しかし、植物を多く詠んだ万葉集や平安時代の源氏物語や古今和歌集、鎌倉時代に編まれた新古今和歌集にも登場しない。最古の記録は摂政九条良経(1169~1206)が描いた色紙とされる。スイセンが日本の文献に初出するのは室町時代の漢和辞書「下学集」(1444)である。そこには漢名水仙華、和名雪中華とある。
 スイセンは鎌倉時代の初期までにはトライしていたようだ。スイセンにはリコリンというアルカロイド系の有毒成分が含まれ、漢方では薬として嘔吐剤や去痰剤、腫物の除去などに利用されることから、薬として遣唐使あるいは南宋時代(1127年 - 1279年)の修行僧が持ち帰ったのではないかと考えられているが、確証はない。

数年前の一月のある日、美術館から車で伊豆半島を南下し、須崎御用邸の横を通過して爪木崎に着いた。駐車場のすぐそばにスイセンの群生地がある。海岸から続く丘の斜面を埋め尽くすようにスイセンが咲いていた。スイセンを鑑賞する遊歩道が整備されている。スイセンは植栽もされて、現在は300万本にも及ぶという。
 日本のスイセンの群生地は、爪木崎のほかに福井県の越前岬、兵庫県南あわじ市の灘黒岩水仙郷、兵庫県洲本市の立川水仙郷、、長崎県の野母崎などが有名であるが、いずれも海辺である。このことから、鱗茎が海流にのって漂着し定着したとする園芸家の柳宗民の説もある。

 ギリシヤ神話にスイセン誕生譚がある。ナルキッソスという青年がいた。たぐいまれな美青年で、多<の娘があこがれたが誰も相手にしない。泉の妖精エコーはとくに激しい恋心を抱いていたが報われず、やつれ果ててとうとう姿が消え、、ついに声だけになってしまった。エコーは「こだま」を意味するようになった。
 このことを知った義憤の女神メネシスはナルキッソスに自分の姿に恋い焦がれる呪いをかけた。ナルキッソスは水を飲もうと泉に屈みこんだとき、水面に写った自分の姿に恋をしてしまった。水中のすばらしい美青年はほほえみかければ必ずほほえみを返してよこすが、抱きよせようと手を伸ばせば消えてしまう。彼はそれを来る日も来る日もながめて暮らし、ついにエコーと同じように恋い焦がれてやつれ果てて死んでしまった。
 ナルキッソスが亡くなった泉のほとりに、一輪のスイセンが泉をのぞきこむようにして咲いていた。以来、その花は、人々からナルキッソスと呼ばれるようになった。
スイセンの学名はナルキッソス Narcissus である。

 唐代の『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』には、払林国に産出する「捺祗(ないぎ)」という植物の記載があり、内容はまさに水仙に相当します。払林は東ローマ帝国に所属する地中海沿岸一帯をさした地名です。これは水仙のペルシア名ナルギに漢字をあてだもので、さらにギリシア語のナルキッソスへとつながる言葉です。〈飯倉照平「中国の花物語」(集英社新書)より〉

  『酉陽雑俎』は、中国唐代の詩人である段成式による随筆で、奇事異談から動植物にまで及ぶ様々な内容を博物学的知識で記述したもので、860年頃に成立した全20巻および続集10巻から成る。この記述から、唐代にはまだ「水仙」という名前は使われていないことがわかる。
 花とこの神話が中国に伝わり、当初は外来語のナイギの名前が使われたが、やがて神話から、水にかかわりのある神や仙人を意味する「水仙華」という名が与えられた。日本にも水仙華の名で伝わった。和名は雪中華とされたが、使われなくなり。江戸時代間にも水仙華の名が残っていた。しかし、いつしか華の字が無くなり水仙というようになった。日本のスイセンは水仙の音読みである。中国では今も水仙華である。

スイセンは前述のように全草が有毒で、特に鱗茎は猛毒である。スイセンを食べることはないと思うが、厚生労働省の「自然毒のリスクプロファイル」には毎年のように誤食による中毒事故が報告されている。最も多いのは葉をニラと間違えて誤食することで、それ以外には鱗茎をタマネギやノビルに間違えるケースが多いようだ。日本では大事にまでは至っていないが、外国では死亡事故も起こっている。

 3月になって、スイセンの花が終わると、代わってラッパスイセンが咲き始める。


:捺祗(ないぎ)の「ない」という漢字は捺という字ではなく大の部分が木になっている。パソコンのフォントには無い字で、外字登録できるがホームページで公開すると、表示されないので誤字のままとした。