スミレ(菫)

   
 スミレは草丈も短く花も小さい。そのため、可憐で可愛い花というイメージが強い。しかし、スミレ科は23属約800種あるが、その大半が木本(低木)であり、草本を含むのはわずか3属である。
 スミレのふるさと(原産地)は南アメリカのアンデス山麓とされている。太古にアンデス山麓から北半球へと進出を始めた。もともと木であったスミレが南半球から北半球へと分布領域を広げていくために、寒さ対策のために木から草に変化したのではないかと考えられている。
 ユーラシア大陸とアメリカ大陸が地続きだったころ、北半球に広がったスミレは、やがてユーラシア大陸に到達し、分化しながら広範囲に分布していった。日本列島はユーラシア大陸から分離して誕生した。
 日本に生息するスミレはスミレ属のみであるが、スミレ科の中でスミレ属が最大の属でスミレ科の半数の約400種もある。スミレ属にも木本はあるが、ほとんどが一年草か多年草の草本である。日本にはこの内の約60種が自生し、すべて多年草である。そして、海岸から2000m級の高山にまで広い範囲に分布している。
 スミレという場合、スミレ属の総称として使う場合と、スミレ属の1種のスミレを指す場合がある。紛らわしいので、1種のスミレは愛好家の間では学名のマンジュリカ(Viola mandshurica)を使う。俗称はホンスミレである。

 スミレ(マンジュリカ)は日本全国の日当たりのいい路傍や草地に生える。日本人にとって最も馴染みのある種である。春、葉間から花柄を伸ばし、先端に濃紫色の花を横向きに1個ずつ開く。花弁には紫色の筋がある。花弁5枚のうち下の唇弁一枚の基部から後方に向かい、袋状の距と呼ばれるふくらみを持つ。距は円柱形で長さ5~8mm。

 万葉集には「すみれ」を詠った歌が2首、「つぼすみれ」を詠った歌が2種ある。
次はそのうちの一つ、山部赤人が詠った歌である

 春の野に すみれ摘みにと 来し吾れそ 野をなつかしみ 一夜(ひとよ)寝にける 

(春の野にすみれを摘もうとやって来た私は野のあまりのなつかしさに、思わず一夜を過ごしてしまった)
春とはいえ、朝夕はかなり冷え込む。それなのに、一夜、野宿までしてスミレを摘んだのは何故なのか。この謎に今まで多くの人が解答している。観賞用、食用、染料、薬用である。
 観賞用というのは、花を摘んでもすぐに萎れるスミレには考えられない。
 多くの人の解答は食用にするというものである。当時は若菜摘みとして、スミレの花や若葉を摘んで食用にした。今でもスミレを食用にしている地域があるので、食用説も考えられるが、この場合新鮮でなければならず必要量さえあればよく、野宿までして摘む必要は無い。とすれば、大量に摘んで保存するなら染料か薬用と考えられる。
 薬学博士の木下武司は「万葉植物文化誌」の中で次のように解説する。
 赤人の名は赤ら顔をしていたからつけられたあだ名と考えられ、彼の病証は典型的な熱証(活発な代謝で体にほてりがあること)である。中国伝統医学ではこれを治すのに寒の薬性をもつスミレがよいという。スミレは、血熱が滯って紅腫し、痛みのある瘡瘍に用いられるが、清熱(身体の内部の熱を冷ますこと)・凉血(熱で出血しやすい状態を改善すること)・解毒の効によるとされている。


      すみれの花咲くころ
      はじめて君を知りぬ
      君を想い日ごと夜ごと
      悩みしあの日のころ

 宝塚歌劇団を象徴する歌「すみれの花咲くころ」の一節である。この歌は宝塚歌劇団の演出家だった白井鐵造が、1928年に、阪急東宝グループの創業者であった小林一三の命によって渡欧した時に、パリで劇中歌としてうたわれた  「白いリラが咲くとき」に感銘を受け、帰国後に日本語の歌詞をつけたものである。もとはドイツのフリッツ・リッターの作詞、フランツ・デーレの作曲による歌「再び白いライラックが咲いたら」で、やはり劇中歌として歌われ話題を集めたものだった。
 ライラック(リラ)は明治時代の中頃には日本に渡来していたようだが、まだ昭和初期ではなじみのある花ではなかったので、白井鐵造は日本語の歌詞をつけるにあたって、身近で親しみある花であるスミレを選んだ。

 春、美術館の周辺を歩いていると、道端に咲くタチツボスミレをよく目にする。大体、7~8輪が群がって咲いている。植物図鑑には「濃紫色の花をつける」と書かれていることが多いが、この辺りのタチツボスミレはほとんど薄い紫色であり、濃紫色の花はまれにしか目にしない。花色はずいぶんと個体差がある。
 またスミレ(マンジュリカ)も咲いているが、ごくわずかである。

 スミレの花は2つのタイプの花を持つ。1つは5枚の花弁を開くもので、「開放花」という。上の花びら2枚は上弁、横の2枚は側弁といい、下の1枚が唇弁である。唇弁の奥は袋状になって、花の後ろに突き出ている。これを距といい、この中に蜜が蓄えられている。ハナバチが飛来し、蜜を吸うと、花粉がハナバチに付着する。そのハナバチが他のスミレに行くと、付着した花粉が雌蕊につき無事受粉が完了する。しかし、ハナバチがそれほど飛び交っている様子もない。このままでは受粉することもなく、花はしおれて枯れてしまうのではないかと気になる。ところが、スミレはそんな事態に備えてしっかり保険をかけている。それが第2のタイプの花である。
 花が枯れた後、初夏から秋にかけて、また小さな蕾をつける。この蕾は開くことがなく、「閉鎖花」という。これが第2のタイプの花である。この閉鎖花の中で、雄しべの花粉から伸びた花粉管が葯(花粉を入れている袋のこと)の壁を貫き、直接雌しべの中にある胚珠(卵細胞、つまりタネのもと)に到達して受精する。実を結ぶ確率はほぼ100%である。
 ハナバチ頼りの開放花は、結実率も低い。対照的に、閉鎖花は確実に大量の種子をつくり出す。
 閉鎖花は経済的にも安上がりである。虫を誘うための美しい花びらや甘い蜜も、閉鎖花にはつくる必要がないからだ。閉鎖花は、確実に子孫を残すべく植物たちが編み出した、巧みな裏技なのである。
 だが、いいこと尽くめでもない。閉鎖花の子づくりは、自らの花粉で受精するという、いわば極端な「近親結婚]なので、子孫に遺伝的な弊害が生じる可能性があるからだ。このマイナス面を補うためにこそ、スミレは手間やコストをかけてもなお、美しい花を咲かせ続けてきたのである。

 スミレの実は紡錘形。その先端につく雌しべの柱頭の痕跡が長いのが開放花の実、短いのは閉鎖花の実である。
 熟すと実は上を向き、3つに裂けて広がる。そのボー卜形の裂片に、5~6個ずつタネが乗っている。でも乾くにつれてボートの幅は狭まり、タネの乗組員は1つずつ、はじき出される。種子は2m近くも飛ばされる。
 地面に落ちたタネに、アリが寄って来る。タネの端にはアリ用のおまけがセットされている。端の白い部分(エライオソーム)は糖や脂肪酸が豊富な甘いゼリー菓子である。アリはタネを巣に運び、おまけだけをかじり取ると、タネ自体は巣の近くに捨てる。でも、それこそがスミレの思うつぼ。巣の周囲の軟らかい土は、小さなタネにとって絶好の苗床になる。

 スミレは日本の各地に分布を広げているが、残念なことに環境の変化や乱獲によって絶滅が危惧されている種も10数種に上る。
  焼津市と藤枝市の境界に高草山という標高501mの山がある。この山の中腹の林が開けた山の斜面に、絶滅危惧種のキスミレが咲く。かつては中腹以上で普通に見られたようだが、現在は柵で囲んだところでしか見られなくなった。地元の人々によって大切に保護されていることがわかる。

 キスミレは大陸系のスミレで中国や朝鮮に多いが、本州の一部(山梨県以西)、四国の愛媛、九州の火山地帯と点在して分布する希少種。主に火山灰地に多く生育しているのが特徴で、日当たりのよい草地を好む。あまり木々が茂るような森林には生育しない。高さ5〜12cm。茎の上部に3個の葉をつける。葉は心形で波状の鋸歯がある。花は葉腋から出て、黄色で直径1.5〜2.0cm。唇弁に比べ側弁と上弁が大きい。唇弁や側弁に赤紫の筋が入る。側弁の基部には突起毛がある。花弁の裏面は一部が紅紫色を帯び、距は非常に短い。