タンポポはキク科タンポポ属の多年草の総称である。タンポポは北半球を中心に寒帯から温帯まで広く分布し、約2000種あるといわれる。日本には20種ほどが自生している。春に、葉心から高さ20cmほどの花茎が伸び先端に花をつける。花は日が当たると開き、日没とともに閉じる。花後、痩果が集まって球状となり、長い冠毛がついて風に乗り、飛散して増える。 タンポポは身近な花であるが、記紀や万葉集にその名はない。日本の文献での初出は平安時代に書かれた薬物辞典の『本草和名』(918)で、タナ(多奈)、フヂナ(布知奈)と記されている。 タンポポという名が使われるようになったのは江戸時代になってからで、医師である名古屋玄医の「閲甫食物本草(えつぼしょくもつほんぞう)」(寛文11年:1671)が「蒲公英」に「タンポポ」と訓じたのが初出である。貝原益軒も「和爾雅(わじが)」で蒲公英をタンホホと表記した。 和名「タンポポ」の語源は諸説ある。 ①タナホホの転化で、「タナ」はタンポポの古名、「ホホ」は花後の綿毛がほほ けているか ら(毛羽立つ) ②牧野富太郎は、花後の姿が綿をまるめて布・革で包んだタンポに似ている ので、「タンポ穂」とよばれたとしている ③タンポポの頭花を鼓に見立てて「タン」は鼓の音、「ポポ」はその共鳴音 とす る柳田国 男の説(花茎を切り出して、その両側を細く切り裂いて水に浸けると 反り返り、鼓の形 になるので、タン・ポン・ポンという音の連想からという説) ④タンポポが鼓を意味する小児語であったことから、江戸時代にツヅミグサ(鼓草)と呼 ばれていたものが、転じて 植物もタンポポと呼ばれるようになった タンポポの古名タナは「田菜」であり、「菜」にはおかずという意味がある。古い時代にはタンポポを野菜として食べていた。若葉を軽く塩ゆでして水にさらしてあく抜きし、お浸しや和え物、汁の実にしたり、同様に花を二杯酢などで食べていた。 タンポポの中国名である蒲公英(ほこうえい)は生薬のことである。開花前の根を付けたままの全草を、掘り上げて水洗いし、細かく刻んで天日干ししたものが生薬になる。全草、特に根に苦味があり、健胃作用、解熱作用、利尿作用、および胆汁分泌の促進作用があるといわれており、健胃薬として用いられる。 しかし「蒲公英」とは、意味のよくわからない名づけである。中国の伝説に次のような蒲公英誕生譚がある。 身寄りのない若者にとついだ蒲氏(ほし)という娘が村中に流行している重い病気でのどや鼻が腫れた夫のために、遠くの土地にある山まで薬草をさがしに行きます。 山にいる老人は、この公英という薬草は貴重なもので、三千年待って薬材にするという約束を守らずに病人が服用すると、薬を採った者の命が失われるのだと言い、しかし娘の熱意に感動して、この金の花を頭につけていれば死をまぬかれる、と教えてくれます。 娘は急いで走りながら家に向かったので、途中で金の花を落としてしまいます。そのため持ち帰った薬草を煎じて、夫と村人に飲ませたあと、娘は息絶えて墓に葬られます。その娘の墓には、やがておなじ薬草が生えてきて、蒲公英と呼ばれることになりました。 (飯倉照平「中国の花物語」) 蒲が人の名前、公英は薬草の名前だが、薬草が何故公英というのかは分からない。 タンポポは日本全国に分布するが、地域により種が異なる。エゾタンポポ、カントウタンポポ 、トウカイタンポポ、 カンサイタンポポなどタンポポの頭に地域名がついたものが多い。在来種のタンポポは春だけの花だったが、今では年中タンポポを目にするようになった。これは外来種のセイヨウタンポポである。 セイヨウタンポポは明治初期に札幌農学校のアメリカ人教師ブルックスが食用として持ち込んだとされる。現在は全国で野生化している。 セイヨウタンポポは在来種のタンポポと比べると、 ①春だけでなく、夏から冬も開花結実し、多数のタネをつける ②タネは在来種に比べて軽く、遠くまで飛ぶ ③タネの発芽温度域は幅広く、いつでも発芽できる ④成熟が早く、小さな個体でも開花する ⑤一年を通じて葉を広げ、光合成を行う さらに、染色体数や生殖上でも大きな違いがある。それは、 ⑥染色体数の面で3倍体であるので有性生殖ができない ⑦単為生殖によってタネをつくることができる セイヨウタンポポは、雌しべの体細胞が減数分裂や受精という過程を経ず、そのまま育って種子になる。性という生物の基本路線をまるで無視して、単独で子をつくってしまう。 それだけではない。理論上も単為生殖には大きな利点がある。増殖スピードが、性を介する通常の生殖(有性生殖)に比べ、2倍の速さになる。 セイヨウタンポポと在来種のタンポポの見分け方は、花の基部を包んでいる総苞片が反り返っているものがセイヨウタンポポ、反り返っていないものが在来種である。 日本における分布は、人間が土地開発を行った地域に外来種が広がり[12]、在来種は年々郊外に追いやられて減少しつつある。 セイヨウタンポポは在来種よりも生育可能場所が多く、かつ他の個体と花粉を交雑しなくても種子をつくることができる能力を持っているため繁殖力は高いが[10]、相対的に種子が小さくて芽生えのサイズも小さくなるため、他の植物との競争に不利という弱点を持っている。そのため、他の植物が生えないような都市化した環境では生育できるものの、豊かな自然環境が残るところでは生存が難しくなる。 在来種はセイヨウタンポポよりも種子をつける数が少なくなっても、大きめの種子をつくる戦略を選んでいる。また、風に乗って飛ばされた種子は、地上に落下しても秋になるまで発芽しない性質を持っている。在来種が春しか花を咲かせない理由は、夏草が生い茂る前に花を咲かせて種子を飛ばしてしまい、夏場は自らの葉を枯らして根だけを残した休眠状態(夏眠)になって、秋に再び葉を広げて冬越しするという、日本の自然環境に合わせた生存戦略を持っているからである。 . 美術館の周りを見ると、道路際はセイヨウタンポポが優勢であり、道路を離れると、トウカイタンポポが優勢である。それに数は少ないがカントウタンポポが入り混じっている。 |