トマト(蕃茄)

 
「毒リンゴ」から「黄金のリンゴ」へ
(イタリア語でトマトはpomodoroという。pomoはリンゴ、oroは黄金)

 トマトは、南アメリカのアンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)原産のナス科ナス属の多年草。
メキシコの先住民たちは「トマト」をいったい、いつごろから食用としていたのだろうか。紀元前からという説もあれば、紀元後1000年ぐらいからという説もあるが、いずれも確たる証拠はない。
トマトは当初、アンデス高原一帯を原産地としてメキシコへ伝わり、メキシコでさまざまに品種改良され、栽培種のトマトが生まれたのではないかというのが、世界の農学者たちの一致した見解となっている。
 新大陸の中でもトマトを栽培植物として育てていたのは、メキシコ地域に限られる。16世紀にアステカに入ったスペインのフランシスコ会のサアグン修道士の記録から、当時から複数種類の栽培種が開発されていたと見られる。
 ヨーロッパへは、1519年にメキシコへ上陸したエルナン・コルテスがその種を持ち帰ったのが始まりであるとされている。当時トマトは「poison apple」(毒リンゴ)とも呼ばれていた。なぜなら裕福な貴族達が使用していたピューター(錫合金)食器には鉛が多く含まれ、トマトの酸味で漏出して鉛中毒になっていたためである。鉛中毒の誤解が解けた後も、有毒植物であるベラドンナに似ていたため、毒であると信じる人も多く、最初は観賞用とされた。
 ヨーロッパで最初にトマトを食べたのはイタリア人だという。イタリアでもはじめのうちは見向きもされなかったトマトが食べられるようになったのには理由がある。16世紀のイタリアは飢餓に苦しんでおり、それまで口にしたこともないトマトでさえ食べざるをえなかったのではないか、というのである。
 イタリアは1520年代から90年代までの間に、ひどい飢饉に何度も見舞われている。当時の様子を描いた古い文献によれば1529年、パドヴァの町では、毎朝25~30人の餓死者が路上に倒れており、食べる物がなくなった人々は、「矢車草やぶどうの葉、最後には栗のイガやクレマチスまで食べた」らしい。しかし、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在の形となった。これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは18世紀のことである。
 一方、北アメリカではその後もしばらくは食用としては認知されなかった。フロリダ方面に定着したスペイン系入植者やカリブ海経由で連れてこられた黒人奴隷がトマトを食べる習慣をゆっくりと広めていった。実験精神の旺盛なトーマス・ジェファーソンは自らの農園でトマトを栽培し、ディナーに供した。1820年、ニュージャージー州のロバート・ギボン・ジョンソンは、セイラムの裁判所前の階段でトマトを食べて人々に毒がないことを証明したとされるが、詳しい資料は残っていない。
 1893年当時のアメリカでは輸入の際に果物への関税がなく、野菜には関税が課せられていた。このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないように「果物」と主張。これに対して農務省の役人は「野菜」だと言い張った。両者は一歩も譲らず、さらに果物派には植物学者も加わり、論争はエスカレート。とうとう、米国最高裁判所の判決を仰ぐことになってしまった。判決は「野菜」。裁判長は随分悩んだと思われ、判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれていた。
 日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎へ伝わったのが最初とされる。貝原益軒の『大和本草』にはトマトについての記述があり、その頃までには伝播していたものと考えられている。ただ、青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」と呼ばれていた。中国では、現在も「西紅柿」(シーホンシー)と呼んでおり、西紅柿炒鶏蛋(鶏卵との炒め物)などとして料理される。日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからである。
 トマトは米国で最初に認可を受けた遺伝子組み換え作物である。1994年5月、FDA(連邦食品医薬品局)が承認したFlavr Savrというトマトで、長期間の保存に適した品種であった。ただし、開発費用などを回収するために通常のトマトよりも高い価格に設定されたため、商業的にはそれほどの成功を収めなかった。

トマトが「野菜」として認められて以後、その一大転機は、トマトソースとなり”どんな料理にも合う調味料”として広まったときに訪れた。
 イタリアでも、スペインでも、フランスでも、イギリスでも、そしてアメリカでも、トマトは肉の煮込みソースとして定着していった。むろん、生でサラダにしたり、揚げ物や炒め物、オーブン焼きなどの料理もあったが、圧倒的に多いのは、トマトを煮込みソースに使った料理である。
 こんなふうに、生で食べてもおいしく、調理ソースとしても幅広く使える、という特徴をもった野菜はほかにない。しいていえばタマネギぐらいか。しかし、タマネギはあまり「主役」の座にはつきにくい。トマトはトマトだけで一品料理かつくれるし、なんといってもトマトソースの鮮やかな色は、「赤い調味料」として食卓を華やかにする効果があった。

ケチャップは、元をたどれば古代中国で作られていた「茄醤(ケツイアプ)という魚醤だったと言われている。これが東南アジアに伝えられて「ケチャップ」と呼ばれるようになったのである。
 アジアでケチャップの味を覚えたヨーロッパ人たちは、やがてさまざまな魚介類やキノコ類、果物を使ってケチャップの味を再現した。こうして作られた調味斜がケチャップと呼ばれるようになったのである。
 イギリスからアメリカに移住した人々は、食材の限られた新天地でケチャップを作ろうとした。そして、豊富にあるトマトをたっぷりと使ってケチャップを作ったのである。これがトマトケチャップである。
ケチャップは今でも調味料を指す言葉であり、実際にイギリスではマッシュルームを使ったケチャップもある。しかし、現在ではケチャップと言えばトマトケチャップを指すようになり、トマトはケチャップの食材の主役となった。
 アメリカではフライトポテトやハンバーガー、オムレツなど、ケチャップの食文化が一気に花開いたのである。