トウガラシ(唐辛子)

 
トウガラシはアジアの食文化を変えた

 トウガラシは、ナス科トウガラシ属の多年草または低木で、原産地は南米のボリビア中部地域とみられる。トウガラシの辛味成分はカプサイシンで種実内の種子が所在する胎座に多く含まれる。
考古学的に見て、トウガラシはインゲンマメなどとともに新大陸でもっとも古くから栽培され、利用されてきた作物の一つと考えられている。ペルーのアンデス山地では、紀元前8000~7500年頃に、トウガラシが栽培されており、古くから農耕が始まった地域の一つであるメキシコでも、紀元前7000年にはトウガラシが利用されていたことが知られている。遺跡からの出土品の中に、農耕の神と一緒にトウガラシが描かれている土器があるし、中南米にはトウガラシに儀礼上大切な役割を持たせている先住民が、現在も昔ながらの伝統を守って生活している。人間との関わりが生じた頃のトウガラシは、必ずしも食用に利用されていたとは限らない。

トウガラシをヨーロッパに持ち込んだのはコロンブスである。コロンブスはトウガラシをコショウの一種だと思っていた。しかし、ヨーロッパでの評価は、「コショウの風味に欠けている」と芳しいものではなかった。当時のヨーロッパの人びとが新大陸に求めていたものの一つは、コショウあるいはその代替品であった。辛味だけが際だって、風味に欠けるトウガラシは、その期待にこたえられるものではなかった。
 コロンブス自身も、トウガラシの価値を理解することのないままこの世を去ったが、調味料としてのトウガラシはこの後も長い間、ヨーロッパでは無視され続けていた。その時期のヨーロッパでは、赤い実を見て楽しむための繿賞用の植物として、トウガラシは栽培されているにすぎなかった。
 強大な勢力を誇っていたナポレオンー世は、ヨーロッパ大陸諸国とイギリスの通商を禁止することによって、イギリスを経済的に封鎖しようともくろみ、1806~07年に大陸封鎖令を発した。その結果、スパイス類を含めアジアの物産を一手に扱っていたイギリス東インド会社との交易が途絶えてしまい、大陸諸国ではコショウなどの香辛料を手に入れることが難しくなった。それまでは、トウガラシはコショウを買えない貧しい人たちの香辛料として見下されていたが、大陸封鎖をきっかけに上流階級の食卓にも上るようになり、トウガラシはようやくヨーロッパで香辛料として認知されることになった。

南アメリカ大陸の中で唯一ポルトガルの勢力圏にあったのがブラジルである。その東海岸にある交易の拠点ペルナンブコ(現在のレシフェ市)で、偶然にもポルトガル人はトウガラシが栽培されているのに出会った。彼らはそのトウガラシをまずアフリカの西海岸に根づかせ、さらに喜望峰をまわってインドへと伝えた。トウガラシは、ポルトガル人の手によって、ヨーロッパを経由することなく、ブラジルから直接アフリカとアジアに伝わり、それぞれの地で短期間のうちに食生活に取り込まれることになった。コロンブスがトウガラシを目にしてからわずか半世紀後の16世紀半ばには、はるか極東の地である日本にまで伝わってきていた。各地の食文化を豊かにしてくれたトウガラシの伝播に貢献したのは、原産地を支配していたスペイン人ではなくポルトガル人だったのである。

日本にトウガラシが伝わったのは、江戸時代に編纂された国語辞書『和訓栞』によると、貝原益軒の説として、秀吉の朝鮮出兵の際にトウガラシの種子を朝鮮より持ち帰ったとしている。しかし、天文21年(1552)にポルトガルの宣教師バルタザール・ガゴが豊後(現在の大分県)を訪れて、領主であった大友宗麟にトウガラシとカボチャの種子を贈った、との記録が残っている。これを裏付ける資料が李氏朝鮮の時代に刊行された『芝峰類説』である。この本は1613年に編纂された百科事典で、その食物部に「トウガラシは日本から伝わって来たので、俗に倭芥子(倭とは日本のこと)と呼ばれている」という内容の記述がある(『食文化の中の日本と朝鮮』)。
豊後の国に伝わったトウガラシは、最初に秀吉が朝鮮半島へ兵を出した文禄の役(1592)の折りに、あるいはそれ以前に倭寇などの手によって、朝鮮半島にもたらされて栽培されていたのであろう。
 朝鮮半島への二回目の出兵となった慶長の役(1596)の際に、海を渡った日本の武士が京都か大坂にトウガラシを持ち帰ったものと考えると、両説の隔たりは矛盾するところなく埋められる。トウガラシは豊後の国から都へ直接伝わったのではなく、九州から一度は朝鮮半島へ伝わり、再び日本へ戻ってきて京都や大坂でも知られるようになった。

日本で料理に唐辛子が多く使われるようになったのは比較的最近のことである。1980年代以降、エスニック料理が浸透し、「激辛ブーム」などが起こる以前においては、薬味や香り付けに一味唐辛子や日本特有の七味唐辛子が少量使われる程度であり、市販のカレーも辛口の商品に関しては少数に留まっていた。今も年配の層には唐辛子の辛味を苦手とする人は多い。
 インドやタイ、韓国などの唐辛子が日常的に使われる国・地方では、小さい子供の頃から徐々に辛い味に慣らしていき、舌や胃腸を刺激に対して強くしている。一方で日常的に使う習慣のない場合は、味覚としての辛味というよりも「痛み」として認識され、敬遠される。

トウガラシは調味料としてはウースターソース、ペパーソース、タバスコソース、七味唐辛子に配合されており、カレーの辛さの強弱も唐辛子の配合量の多少によってつけられる。朝鮮料理のキムチや、メキシコ料理のチリコンカルネ、タコス、エンティラーダに、中国料理ではとくに四川(しせん)料理に代表される各種肉料理や漬物に多く用いられる。辣油(ラーユー)や搾菜(チャーツァイ)の辛さもこの唐辛子である。イタリアのスパゲッティ「アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ」のペペロンチーノはトウガラシである。ハンガリーのグヤーシュ、スペインのチョリソにも使われている。世界の広い範囲の国々の料理に用いられている数少ない香辛料の一つである。