ウメ② 紅梅


 
 平安時代になると、紅梅が登場する。紅梅も中国から渡来したのか、日本で発生したのかよく分かっていない。
 清少納言は『枕草子』で、「木の花はこきもうすきも紅梅」と書き、紫式部は『源氏物語』の54帖中24帖にウメを登場させている。
 ウメを好んだ菅原道真は邸宅に多くの梅を植えたので紅梅殿と呼ばれた。
菅原道真を祭る太宰府天満宮の「飛梅」伝説は有名。道真は日頃からウメを好み、邸内に多くのウメを植えたので邸宅は紅梅殿と呼ばれた。藤原時平に学問の才をねたまれて讒訴され。筑紫に配流された道真は、都を去るにあたり「東風吹かば香(にほひ)おこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだ。その心を慕って一枝のウメが太宰府まで飛んでいったと伝えられる。

 万葉の時代には梅の香りを詠んだ歌は市原王(いちはらのおおきみ)の一首しか無いが、平安時代になると、その数が増える。道真の歌もその一つである。
 白梅と紅梅では香りが違うという。白梅にはジャスミンやイランイランの香りである酢酸ベンジルが多く、紅梅にはアーモンドや杏仁の香りであるベンズアルデヒドが多い。

 飛梅伝説と並んで名高いのが鴬宿梅の故事。「大鏡」によれば、村上天皇の時代、清涼殿前のウメが枯れたためそれに代わる木として、京の町のある家から美しい紅梅の木を掘りとって運んだ。天皇が見ると、木に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかがこたへむ」(天皇からの命令ですからとても畏れ多いことですが、うぐいすが『私の宿はどこ』と聞いてきたらどのように答えましょうか)の句があり、歌の主を調べさせると紀貫之の娘であった。天皇はこれを知り大いに悔やまれたという。

 松竹梅の組み合わせが縁起物とされたのは平安時代からで、それぞれが祝賀の意を表すものであったが、組み合わせることでめでたさを強調した。
中国では古くから「歳寒三友」として、松竹梅が愛されていた。 「歳寒三友」とは画題の一つで、松と竹は寒い冬にも緑を保ち、梅は百花に先駆けて花を開くことから、こう呼ばれるようになった。
 松竹梅だけでなく、「梅」「水仙」「竹」を配したものも「歳寒三友」と呼ばれる。
 この「歳寒三友」が「松竹梅」の元となってはいるが、中国の「歳寒三友」には日本の「松竹梅」のように、めでたいものの象徴といった意味は含まれていない。
 日本で松竹梅が吉祥の象徴とされるようになったのは、松が常緑で高木となり、樹齢の長い木で、神の天降りを待つ木として、竹は強い萌芽力と成長力を持ち、中空なる竹に神霊が宿ると信じられ、神霊の依り代として、梅は冬に花を咲かせる木としてである。
 「歳寒三友」が日本に伝わったのは平安時代であり、江戸時代になって民間にも流行する。
 そして、この三つが組み合わさって正月の飾り物としてだけではなく、慶事の縁起物として飾られるようになった。
 松竹梅がめでたいものの象徴となった由来と関係ないが、植物学的には、松が裸子植物の代表、竹が単子葉類の代表、梅が双子葉類の代表で、「松竹梅」は植物三界の代表が揃っている。
 また、しめ飾りに用いるウラジロは隠花植物の代表であるため、慶事に用いる代表的な植物を揃えると、植物界全体の代表が揃うことになる。
 品物などの等級で「松」「竹」「梅」と分けることは本来なかったことだが、「並」と注文するよりも「梅」とした方が注文しやす<、植物の名に置き換えた方が美しいため、寿司屋などで等級として用いられるようになった。順番も特に決まっているものではなく、「松」「竹」「梅」は平等であるが、特上が松、上が竹、並が梅とされるようになった。
 この順番は、吉祥の象徴となった時代順とも言われるが、松と竹と梅の三種を「松竹梅(しょうちくばい)」と呼ぶところからの順番と考えた方が無難であろう。
                       『梅譜』より  
 梅が園芸的に開花するのは江戸時代である。現在も栽培されている「難波紅」「加賀紅梅」「緑萼」「紅筆」「紅千鳥」など、八重、桃色、枝垂れなどの名花が作出された。
水野元勝『花壇綱目』延宝9年(1681)に52品、伊藤伊兵衛『広益地錦抄』(1719)に49品、松岡玄達『梅品』宝暦10年(1760)に60品、谷文晁『画学斎梅譜』寛政5年(1793)に62品、松平定信『梅津之波』文政の初め頃(1820頃)に58品をそれぞれ掲載。
 旗本の春田久啓は、梅顛(ばいてん:梅マニアの意)と呼ばれるほど、梅を愛好した。彼は四谷御門外の屋敷を様々な種類の梅の木で埋め尽くし、文化9年には『韻松園梅譜』(1812) というタイトルで、自慢の梅96品を図写した色彩画帳を出版した。
 ウメは交配で育てると年月がかかるので、挿し木や接ぎ木によって改良が進められた。それでも、江戸時代の品種改良は、植物の生育上の性質を選び取り、時間をかけて行われた。例えば、『武蔵野』という品種は作出に18年かかっている。
江戸時代の終わりには園芸品種は300種に達していたことが小野蘭山『本草綱目啓蒙』に記載されている。明治初期の小川安村『梅譜』は343品種を掲載し、彼は梅を「花梅」と「実梅」に大別し、さらに野梅系、豊後系、紅梅系などと特徴別に分類している。