ヤマザクラ(山桜)


   ヤマザクラ

 サクラの原産地は、ヒマラヤから中国南西部にかけての地域とみられている。その後、地球が数万年周期で寒暖をくりかえすたび、東へ、北へと分布を広げていき、北半球の温帯と暖帯に分布を広げ、特に東アジアに多い。中国には約33種の原種が自生している。日本における桜の原種は、種の解釈によって意見が分かれるが9~11種類とされ、その原種の桜が自然に交配し100種以上が野生化している。このような野生種、自生種を「山桜」という。この「山桜」をもとに、さらに人の手で交配して作られた栽培品種、園芸品種を「里桜」といい、現在、日本に栽培されているサクラの品種は600種類以上にものぼる。

 以下のサクラが日本の原種(Species)のサクラとされている。

・ヤマザクラ(山桜) Prunus jamasakura
・オオヤマザクラ(大山桜)Prunus sargentii Rehder
  (別名ベニヤマザクラ(紅山桜) Prunus sargentii)
・カスミザクラ(霞桜) Prunus leveileana
・オオシマザクラ(大島桜) Prunus speciosa
・エドヒガン(江戸彼岸) Prunus spachiana
・マメザクラ(豆桜) Prunus incisa
・タカネザクラ(高嶺桜) Prunus nipponica
・チョウジザクラ(丁字桜) Prunus apetala
・ミヤマザクラ(深山桜) Prunus maximowiczii
・クマノザクラ(熊野桜) Cerasus kumanoensis
2014年に発見された新種
・カンヒザクラ(寒緋桜) Prunus camanulata Maim.
石垣島に野生のものがあるが、台湾から人為的にもたらされたものではないかとの疑いがあり、日本の原種に入れないとする考えもある

 原種のサクラ(山桜)は寿命が長い。特にエドヒガンはサクラの中では非常に長寿の種である。樹齢2000年を超えるといわれる神代桜(長野県)や樹齢1500年を超える淡墨桜(岐阜県)、樹齢1000年と言われる樽見の大桜(兵庫県)、臥竜の桜(岐阜県)、その他にも樹齢300年を越える石割桜などが有名であるが、これらは全てエドヒガンである。
ヤマザクラでも、狩宿の下馬桜(富士宮市)は樹齢800年以上、大戸の桜(茨城県)は樹齢500年とされている。

 それに対し、「里桜」は寿命が短い。ソメイヨシノの寿命はおよそ60年と言われている。
「里桜」が寿命が短いのは、接ぎ木や挿し木で増やしていることに原因がある様だ。すなわち、「里桜」はすべてクローンである。
 クローンであるため、ソメイヨシノ同士で交配することはない。しかし、ソメイヨシノと他のサクラが交配することはありえる。しかし、その種子からはソメイヨシノとは異なったサクラが生長する。

ソメイヨシノは40年を超えると、きのこが生えたり、蛾が卵を産んで、木が腐りやすくなる。そのまま放置しておくと、倒木などの危険性が高まる。また、並木に植えられていることも多いため、病害が拡がってしまう危険もある。さらに、ソメイヨシノはクローンなので耐性に弱く、害虫対策をしないと、延命できないようだ。

 国花を法律で定めている国は数多い。アメリカはバラを国花とし、隣の韓国はムクゲが国花である。日本の国花は何かと人に問うと、「菊」または「桜」という答えが多い。「菊」は皇室の紋章であり、「桜」は日本人の精神性を象徴する花として多くの公的機関のシンボルとして扱っている。しかし、日本では法律で国花を制定していない。今更制定しなくても、キクもサクラも国花のような扱いを受けている。

ただ「花」といえば、「さくら」を指すようになったのは平安時代以降であり、奈良時代(万葉時代)には「うめ」を指していたと、多くの本がそう述べている。本当に、そうなのか。

 万葉集の中で「桜」を詠んだ歌は47首で第8位。第2位の「梅」の119首に比べると、かなり少ない数字であることが分かる。
 はたして、万葉時代には桜は人気がなかったのだろうか。

 大貫茂は「万葉の花100選」の中でこう述べている。
 『「うめ」の百十九首に比べると、「さくら」の歌は四十七首であり、圧倒的に歌数が少ないが、「さくら」も万葉人の人気を集めていた花である。歌数の少ない理由は、単に「花」として詠んでいる歌が、他に七十二首も合まれていることを見逃すわけにはいかない。もちろん、「花」と表現しているもののなかにも、「さくら」でないとほぼ断定できるものが十首ばかりあるが、春に詠んだ歌のうちで、五十首ほどは「さくら」の花である可能性が高いのである。これを四十七首に加えると約百首となるうえに、「うめ」の歌には、大宰府の大伴旅人邸で催された「梅花の宴」で詠まれた三十二首が登場するという、特殊な要因があるので、「さくら」は「うめ」に比べて人気がなかったとする説は見当違いなのである』

 では、万葉時代に「花」といえば、「さくら」のことだったのだろうか。
 万葉時代の「花」を「さくら」としなかったのには、本居宣長が「玉勝間」の中で「ただ花といひて桜のことにするは、古今集のころまでは聞こえぬことなり」と書いたことが、後の人に万葉時代には「花」といえば「桜」とはいわないとの考えを植えつけたのではないかと考えられる。しかし、万葉時代にも「花」といえば「桜」を指していることが多くあったことが分かってきた。
 国文学者の山田孝雄も「櫻史」(講談社学術文庫)の中で、『木花(このはな)といひしは櫻花なりしこと』として、天孫降臨したニニギノミコトが妻に迎えたのは木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)で、ただ「木の花」といえば櫻を指していたとしている。

 さらに、『花といへば櫻といふこと今日にも行はるるを以て遡りて考ふれば、太古混沌の世に花といへるが櫻にてありしことなかりしとすべからず』として、その歌の例を挙げている。

 難波津に さくやこの花 冬ごもり 今は春べと この花 (古今集)

 青丹(あおに)よし ならの京(みやこ)は 咲く花の 薫(にお)ふが如く 今盛りなり (万葉集)

栗田勇も「花を旅する」(岩波新書)の中で、『万葉集では、「はな」という言葉がよく用いられますが、これは一般的には桜のことだといわれます。詳しく言い出すと異論もありましょうが、万葉では花イコール桜を意味していたと言うことです』と述べている。

 また桜の花には、その咲き具合、散り具合によって豊穣の吉凶を占う風習があったとされる。折口信夫は次の歌にそのことが現れているとしている。

此花の 一与(ひとよ)の内に 百種(ももくさ)の言(こと)ぞ こもれる おほろかにすな                   (藤原広嗣 巻8.1456)
(この花の一枝の内に百千の言葉が隠っているのですから粗末にしてはいけませんよ)

 サクラのサは早苗(さなえ)とか早乙女(さおとめ)のサと同じで、これは田の神(穀物の霊)を表わし、クラは座(くら)すなわち依り処(よりどころ)を意味しているとの解釈がある。
この時代の日本人の大半は農民であり、農民にとってはサクラは大切な木であり、花であった。

 このように、万葉時代の歌のただ「花」、「この花」は桜を指していたと考えられる。
 確かに、中国文化への傾倒が強かった万葉時代の貴族階級では梅を上位としたが、万葉集に多く詠まれる防人や庶民の歌には桜が歌われ、また「花」といえば「桜」を指していた。

今でこそサクラといえばソメイヨシノであるが、古来より日本人の心をとらえてきたのはヤマザクラである。ヤマザクラは本州(太平洋側は宮城県・日本海側は新潟県以西)・四国・九州に分布し、冷温帯から暖温帯にかけて生育している。3月の終わり頃から4月にかけて、若葉が出ると同時に、枝上に2~5個ずつ、淡紅白色の花を散房状につける。
 桜の名所である吉野には約200種、約3万本の桜があるが、その中心はヤマザクラである。春の開花は秋の豊穣を占うものとされ、花見の起源も古代の農耕儀礼にあると考えられる。「桜の宴」が初めて催されたのは嵯峨天皇の時代といわれる。宮中に始まったこの行事が民間に伝わり花見となる。花見が庶民に普及するのは江戸時代からである。